悔い改めと平和

「悔い改めと平和」 2023/8/6

ヨハネの福音書15章9~12節

  8月は平和について考える季節です。多くのキリスト教会でも8月の第一日曜を「平和の主日」と定めています。旧約聖書の ミカ書やイザヤ書に「世界中の人たちが、神の言葉を聞くためにエルサレム(イスラエル)に集まってくる。そして武器を農具に 打ち直し、平和な世界が実現する。」…といった趣旨の言葉があります。ところが現在のエルサレムを見ると、世界に平和を宣べ伝えるどころか、むしろ率先して戦っているように見えます。なぜでしょうか?イエスキリストを認めていないからです。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわす」(エペソ2:14)。イエスキリストは平和そのもの。キリストを自分の中に持った人は平和を持ったのであり、キリストを持たない人は平和を持っていないということです。

 ではキリストを持っているはずのクリスチャン同士が戦争をしたり、教会内で分裂が起こったりするのはなぜでしょうか?それはその人が本気で「悔い改めて」いないからです。悔い改めのない人は、イエス様が十字架で死なれた意味も分からず、イエス様をただの聖人君子か、人生の模範くらいにしか思っていません。しかしイエス様はただの模範ではありません。「救い主」です。わたしたちの罪をゆるすために、十字架でいのちの代価を支払い、わたしたちを「贖って」くださったお方です。「贖う」とは代価を支払って買い取ることです。ドイツ語では、「贖う」と「和解」は同じ語源です。つまり、罪を悔い改め、イエス様の「贖い」に心から感謝する時、人は初めて、神様とも、他の人々とも「和解」することが出来るのです。

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです」(ヨハネ15:12)。わたしたちは自分の力では愛し合うことは出来ません。しかし罪を悔い改めてイエス様の贖いを受け入れた人の中には、イエス様ご自身が入ってくださいます。平和そのものであるイエス様が入ってくださいます。そしてその人の中にある「隔ての壁」を打ち壊し、他者を愛し、平和を実現する者へと変えてくださいます。その時こそ「世界中の人たちが神のもとに集まり、真の平和がやってくる」というあの御言葉が実現するのです。

(永田 令牧師)