君たちはどう生きるか

「君たちはどう生きるか」 2023/7/30

マタイの福音書13章31~33、44~52節

 「君たちはどう生きるか」という本や映画がありますが、皆さんは聖書をどう読み、どう生活に活かしておられるでしょうか?

イエス様の時代の「律法学者」は、聖書を暗記するほどに読んでいましたが、言葉で神の律法を説くだけで、人への「愛の行動」が欠如していました。なぜでしょうか?聖書の一番の中心である「イエス様」を認めず、イエス様と切り離して聖書を読んでいたからです。それでイエス様は多くのたとえ話を語り、律法学者に問いを投げかけ、その答えが「イエス様」であることに気づかせようとされたのです。その点イエス様は、ご自分に従ってきた弟子たちに対しては、「あなたたちは幸せだ」とおっしゃいました。彼らの理解力が高かったからではなく、イエス様ご自身と共に歩み、イエス様と語り合い、わからないことがあれば直接イエス様に聞いたからです。

きょうの箇所に「からし種のたとえ」が出て来ます。最初は見えないほどの小さな種が、やがて鳥が巣を作って憩うほど大きな木に育つように、聖書の御言葉によってイエス様と出会い、イエス様と共に生きる人は、自分が幸せになるだけでなく、周りの人たちをも憩わせる人になるのです。イエス様がその人の罪を背負って死んでくださり、聖霊様によって新しく生まれ変わらせてくださるからです。聖書の中に「イエス様」を見出した人は、きょうのたとえに出てくる「畑の中に宝を見つけた人」や「価値ある真珠を見つけた人」のように、全財産をはたいても惜しくないほどの喜びを手に入れます。そして律法が教える「愛の行動」を行えるようになります。その人自身の力ではなく聖霊様の力によってです。こうして「鳥たちが木の上で憩う」ように、周りの人たちを憩わせる人になるのです。じつはそれこそが真の「律法学者」の姿です。口先だけの律法学者ではなく、愛の律法を実際に行う、本物の律法学者。人をそのように変える力が聖書にはあります。この聖書を読んで、あなたはこれからどう生きますか?

(永田 令牧師)