神からつかわされた人

「神からつかわされた人」 2023/7/2 聖霊降臨後第5主日礼拝メッセージ

マタイの福音書10章40~42節

「あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。」とイエス様は言われました(40)。「あなたがた」とは12弟子のことです。この12人はイエス様が地上に送り込んだ使者であり、天の神様が送り込んだ使者でもあるということです。しかしその割にはこの12人は問題だらけの人たちでした。人選ミスでしょうか?いいえ、そうではありません。神様はあえてこの12人を選ばれたのです。人間の力ではなく、神様ご自身の力で、世界を変えるほどの偉大な働きが出来る、ということを教えるためです。

神様はこの12人だけではなく、あなたのことも遣わしてくださいました。あなたが今の国に、今の住所に、今の家庭におられるのは、決して偶然ではありません。神様がエレミヤを「胎内に形造る前から」預言者として定めておられたように(エレミヤ1:5)、あなたが生まれる前から、神様は、あなたをご自分の使者としてお選びくださいました。つまり何か立派な功績をしたとか、反対に大きな失敗をしたとか、そんなことは関係ない、ということです。そのためにイエス様は十字架にかかって死なれ、わたしたちの罪を洗い清めてくださいました。このゆるしの言葉、福音の言葉をいつも受け取り、それを喜ぶ。これだけが「使者」として必要なことです。

先ほどお話した預言者エレミヤと、もう一人の預言者ハナヌヤは、どちらも「預言者」として民に語りました。ハナヌヤは神様の裁きについて語らず、「平安」ばかり語りました。エレミヤは神様の裁きを語り、悔い改めを迫りました。果たしてエレミヤの預言通りになり、悔い改めなかったユダヤの民は70年間、バビロン捕囚という災いを経験したのです。本当の「平安」は、自分の中にある罪を認め、本気で悔い改める時にやってきます。悔い改める者にイエスキリストの十字架によるゆるしといのちが与えられるからです。このことを知らせるのが「使者」です。使者自身がこの福音をしっかりと受けとめ、聖餐によって救いの喜びを新たにする時、その人自身の生き方も変わり、周りの人々の態度も少しづつ変わっていきます。使者自身は小さな者ですが、その使者を遣わした神様ご自身は偉大なお方なのですから。

(永田 令牧師)