心に耳のある者は聞きなさい

「心に耳のある者は聞きなさい」 2023/7/9

マタイの福音書11章16~19、25~30節

   「笛吹けど踊らず」。このことわざは、今日の17節の『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』という言葉から来ています。子どもたちが「笛を吹いたら踊ろう、弔いの歌を歌ったら悲しもう」というルールを決めて遊んでいました。ところがルールを守らず、笛吹けど、歌を歌えど、無反応の子どもがいたようです。イエス様はこの情景にたとえて、当時のユダヤ人の無反応を非難されたのです。ヨハネが来て悔い改めのバプテスマ(洗礼)を勧めても、ヨハネのあとにイエス様が来られて救いの福音を説いても、多くのユダヤ人は耳を貸そうとしませんでした。

 バプテスマのヨハネが来たのは、人々に神様のルール(律法)を思い起こさせ、そのルールを自分たちが破っていることに気づかせ、悔い改めさせるためでした。そして「わたしの後にさらに優れた人が来られます」と言って、イエス様のことを人々に紹介したのです。わたしたち人間は、生まれながらの罪びとであり、何度悔い改めても同じ過ちを犯してしまいます。しかしその罪から救うためにイエス様は来られ、全人類の罪を背負って十字架で死なれ、救いのわざを成し遂げてくださいました。この救いを幼子のように真っ直ぐ受けとめる人は救われます。「これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました」(25)と書かれてある通りです。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28、30)。いつも罪を自覚し、良い心を持って生きることは必要です。しかしそのくびきは負いにくく、その荷は重い。でもイエス様のくびきは負いやすいのです。幼子のようにイエス様を心に受け入れるなら、その人は罪と良心の葛藤から解き放たれ、まるで空を飛ぶ翼のように軽やかになります。「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子のろばに」(ゼカリヤ9:9)。踊るような喜びをもって、イエス様が来てくださった幸いを喜びながら、新たな一週間に向かって参りましょう。

(井上 靖紹長老)