宣教はハプニング

「宣教はハプニング」 2023/6/18 聖霊降臨後第3主日礼拝メッセージ

マタイの福音書9章35~10章8節

  「収穫は多いが、働き手が少ない」(37)とイエス様は言われました。これは野菜の収穫の話ではなく、「罪から救われて新しい人生を歩むべき人は大勢いるのに、福音を伝える人が少ない。」という意味です。「働き手(=福音を伝える人)」とは誰のことでしょうか?

「イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた」(35)。とある通り、イエス様ご自身が人々に御言葉を語り、病気をいやし、悪霊を追い出されました。そしてその力を12弟子にもお与えになりました(マルコ10:1)。さらにマルコの福音書16:17-18には、イエス様を信じるすべての人々にその力が与えられたと書かれています。つまり「収穫は多いが、働き手が少ない。」の「働き手」というのは、12弟子だけではなく、牧師や伝道師のことだけでもなく、イエス様を信じるすべてのクリスチャンのことです。洗礼を受けた時に与えられる聖霊様によって、すべてのクリスチャンが「収穫の働き手」になることが出来ます。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と使徒1:8に書かれてある通りです。

「福音を宣べ伝えること」と、「病気や悪霊からの解放」は別々のことではありません。一つのことです。イエス様を信じて「神の国」をいただいた信仰者が、その喜びを持って語る言葉、喜びを持って行う行為、喜びを持って生きる生き方・・・それらすべてが「福音宣教」です。「福音宣教」をするための準備として傷を癒したり救援活動をしたりするのは間違っています。イエス様ご自身がそうであったように、傷ついた人を心からあわれみ、何とか笑顔を取り戻してほしいという動機で行動すべきです。しかしわたしたちは頭ではそう思っていても、心のどこかで「計算」しているような者です。まさにそんなわたしたちを救うために、イエス様は十字架で死んでくださり、よみがえられました。そのことを感謝しつつ誰かと食事をしたり、ただ寄り添ったりする時、それがもう福音宣教になります。宣教とは「技術」ではなく「ハプニング」なのですから<ヘンリ・ナウエン>。

(永田 令牧師)