神を慕い求めて

神を慕い求めて」 2023/6/11 聖霊降臨後第2主日礼拝メッセージ

マタイの福音書9章9~13節、18~26節

 私たちが多くの間違いや失敗をなしてきたにもかかわらず、今、この時を生きていることは、神様の、人間の想像をはるかに超えた愛のおかげです。ホセア5:15-6:2で言うように、主は、罪の悔い改めを求められますが、癒しも与えて下さいます。主の愛は人のどんな思いも及ばない程、深いのです。重要なことは、イエス様が、今現在、この場所で、私たちと共に歩んでくださり、私たちに愛を注いでくださっていることです。詩篇50:7で「わたしは神、あなたの神である。」と言われることは、私たちにとっても同じです。また、詩篇50:14で言うように、「感謝のいけにえを神にささげよ。」とあり、そのいけにえは、愛を注いでくださる神様への私たちの誠心誠意の感謝の心です。そして、詩篇50:15では「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」と言われます。

 しかし、私たちが自分自身を振り返らなければならないことがあります。それは、神様が無条件に私たちを赦して下さるからと、自分で自分を容認して、限りなく自分自身に甘くなってはいないか、ということです。私たちは、心の底から自分の罪を認め、神様が徹底的に愛を注いでくださる方だからこそ、徹底的に神様を慕い求めるのです。

 今日のマタイの福音書では、収税人のマタイが打てば響くように反応します。これは、長い間、マタイは収税人であるという自分の状況に苦悩して、心からイエス様を求める思いに満ちていたからではないでしょうか。私たちもマタイのように、心底イエス様を慕って救いを求め,罪を悔やめば,イエス様は共に歩んで下さいます。
 パリサイ人は、イエス様や弟子たちが取税人や罪人たちと一緒に食事をしていることを批判しますが、イエス様は、パリサイ人が律法を守っていると主張するその傲慢さに対して、自分の罪にあえぎ悔やんでいる弱い人々を大切に思って下さいます。その次には、イエス様が来てくだされば、娘が生き返ると信じていた男がいました。男の信仰は、ただイエス様が娘にその御手を置いて下さればいいということです。それによって娘が生き返ることは当然の真実だと信じていた男の思いにイエス様は応えて下さいました。

 そして、自分が長い間患っている病気も、イエス様の着物の房を触るだけで治ると信じていた女性の思いに、イエス様は、「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われ、その時からすっかり彼女の病は癒されました。この女性もイエス様の深い愛を徹底的に信じていたのです。

 ローマ書4:19-22のアブラハムの信仰のように、神様の約束は事実であり、真実であるのです。神様が成就されたイエス様の十字架と復活は、それほど大きな、神様の愛の約束の成就です。その赦しの真実を自分の中の痛み、苦しみの中に受け入れることです。私たちは、神様が自分を、神様の愛の中において下さって、この自分になそうとされることをただ信じて待つだけです。

(福田学師)