思い出した!

「思い出した!」 2022/4/17  主の復活日礼拝メッセージ

ルカの福音書24章1~12節

イースターおめでとうございます。
イエス様は金曜日に十字架で死なれました。その翌々日(日曜)の朝、女の弟子たちはイエス様の体に香料を塗るため墓に向かっていました。ギリシャ語の「墓」という言葉の語源「ムネーメオー」には「思い出す」「記念する」という意味があります。つまり亡くなった人を「思い出す」ための「記念碑」、それがお墓です。

しかし彼女たちが行ってみると墓の入り口の石がころがしてあり、イエス様の体はありませんでした。彼女たちはまだイエス様が生き返ったとは思っていませんから、途方に暮れてしまいます(4)。すると墓のそばで2人の御使いが言いました。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです」(5-6)。「ここ」とはお墓、つまり「思い出」です。しかしイエス様は「思い出」の中にいるのではなく、よみがえられて、現実に生きておられます。さらに御使いは言いました。「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい」(6)。すると彼女たちは、イエス様が殺されて3日目によみがえると言っておられたことを思い出しました。「死んだイエス様の思い出」に浸るのではなく、「イエス様が生きておられる」ことを思い出したのです。彼女たちは向きを変え、墓ではなく、生活の場へと戻り、自分たちに起こった一部始終を人々に知らせたのでした。

イエス様はわたしたちの罪のために十字架で死んでよみがえられました。それによってわたしたちは罪の中から救われました。この福音のみことばを思い出し、それを信じる人は、言葉にならない喜びに包まれます。また聖餐式も、イエス様が生きておられることを思い出させるものです。こうしてみことばと聖餐式によってイエス様の復活を思い出し、新たな命に満たされる場、それが礼拝です。

わたしたちが地上を歩む時も、地上を去る時も、イエス様は永遠に共にいてくださいます。このことを思い出すたびにわたしたちは喜びに包まれ、どんなに途方に暮れていても何度でも立ち上がり、イエス様が自分にしてくださった一部始終を人々に伝える者となるのです。

(永田 令 牧師)