イエスは生きておられる

「イエスは生きておられる」 2022/4/24 復活節第2主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書20章19~31節

イエス様が復活された日曜日の朝、女たちは墓の前の御使いから「イエス様はよみがえられた」と聞かされ、他の弟子たちに伝えました。しかしその日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて部屋に鍵をかけていました。この扉は「信じたいけど信じられない。どうしても疑ってしまう」という弟子たちの心を表しています。わたしたちの心も同じではないでしょうか?

しかしその部屋の真ん中にイエス様は立たれました。わたしたちの疑いの壁をイエス様はいとも簡単に乗り越えてくださるのです。そしてイエス様は「平安があなたがたにあるように」と言われました。この平安は「お金がある」とか「人間関係が良好」等で得られる「この世の平安」とは違う、イエス様の平安です(ヨハネ14:27)。イエス様が最後の敵である死さえも滅ぼされたように、イエス様とつながっている人は、たとえ「何もかも終わりだ」と思うような事態でも、決して終わりではなく、必ず立ち上がります。これがイエス様の平安です。

さらにイエス様は、手とわき腹の傷を弟子たちに示されました。イエス様は幽霊ではなく、本当に復活されたということです。そしてその傷はわたしたちの代わりにイエス様が受けてくださったものです。わたしたちが神様に期待しつつも疑い、何度も過ちを繰り返す者だから、イエス様が十字架で身代わりの刑罰を受けてくださったのです。その傷によってわたしたちはいやされました(イザヤ53:5)。それで弟子たちはその傷を見て喜びに満たされたのでした。

29節でイエス様は「見ずに信じる者は幸いです」と言われました。けれども今日の箇所ではご自分の姿を弟子たちに「見せ」ています。それは、この時まだ聖書が完成していなかったからです。しかし今は聖書があります。この聖書を読むことによって、肉眼で見るのと同じように、いや、肉眼で見る以上にはっきりとイエス様を見ることが出来、幸せを感じることが出来ます。そしてわたしたちがイエス様にゆるされたように、わたしたちも人をゆるして生きる時、周囲の人々は生きておられるイエス様を見ます。自分の力では難しくても、聖霊様が壁を乗り越えさせ、人をゆるす心を与えてくださいます。そのことを信じていきましょう。それによって人々は、イエス様が今も生きておられることを知るのです。

(永田 令 牧師)