弟子たちは群れとなって

「弟子たちは群れとなって」 2022/4/10 四旬節第6主日礼拝メッセージ

ルカの福音書19章28~40節

きょうの聖書は、イエス様が十字架につかれるためにエルサレムに入城される場面です。この日からの一週間を受難週と呼びます。

29節に「ベテパゲとベタニヤに近づかれたとき」とあります。ベタニヤの人たちは、死んで四日もたったラザロがよみがえる奇跡を目撃しました。それで彼らは村を挙げてイエス様を信じ、いわば村人全員がイエスさまの弟子と言ってもいい状況でした。隣村のベテパゲでも、つないであった子ろばを弟子たちがほどいて「主がお入り用なのです」と言うと、ろばの持ち主は支障なく渡してくれました。「主」とはイエスさまのことであり、イエスさまにはこのろばを使っていただく権威があると信じていたからです。そして村人たちは自分たちの上着を道に敷いて、ろばに乗ったイエスさまを歓迎しました。

このように、当時の多くの人々が「イエスはキリスト(救い主)」という理解には達していました。その点で彼らは、イエスさまのことを「あなたは神のキリストです」と告白したペテロと同じレベルの弟子と言えます。

しかし、キリストであるはずのイエスさまが、なぜ仕える者の姿でいるのか、キリストが来られる本当の理由は何かを、彼らは知りませんでした。そのためイエスさまが十字架につけられるとき、意味が分からず、混乱して散ってしまいました。真のキリスト、それは、人の罪をあがなうために十字架につけられ、死んだ後に復活して、キリストにつながる人に罪の赦しを与え、天国への道を開くお方です。そのことを悟った人々が、もう一度群れを作るでしょう。その群れは今度こそ、イエスさまとともに天国に至る行進を行うに違いありません。

Oh, when the saints go marching in 
Lord, how I want to be in that number
When the saints go marching in
(「聖者が街にやって来る」より)

この歌は「イエスさまを受け入れてあの人は天国へ行ったよ。あの人は聖者の一人として天国へ向かう聖者たちの行進に加わったよ。主よ、どうか私もそうでありますように。」という思いを込めた歌です。弟子たちの群れ、それは死にゆく魂が逆に死から生へ向かっていく群れです。皆さん、この群れにとどまりましょう。

(井上 靖紹 長老)