地に足がついた香り

「地に足がついた香り」 2022/4/3 四旬節第5主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書12章1~8節

4月に入りました。4月といえば入学、入社など、新しいことが始まる季節です。しかしイザヤ書43:19に「見よ。わたしは新しい事をする。」とある通り、本当に人を新しくするのはその人自身の力ではなく、神様の力です。

今日の福音書はイエス様が十字架にかかる6日前にベタニアのマルタ、マリヤ、ラザロという3兄弟を訪れた箇所です。そのとき妹のマリヤは300デナリ(約300万円)もする「ナルドの香油」を全部イエス様の足に注ぎました。弟子たちは彼女を非難し、「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか」(12:5)と言いました。じつにもっともな意見です。しかしマリヤに「もったいない」とか「常識はずれ」といった発想はなく、ただ純粋にイエス様への感謝を表したかったのです。なぜでしょうか?それは7節でイエス様が「マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。」と言っておられる通り、イエス様がまもなく死のうとしておられ、そしてその死は聖書が指し示す通り「わたしたち人間の罪の身代わり」であることをマリヤは知っていたのです。マリヤがそこまで洞察することが出来たのは、御言葉に集中する彼女の姿勢です。「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた」(ルカ10:39)と書かれてある通りです。イエス様がいのちを投げうって自分を救ってくださることを御言葉から悟ったマリヤは、感謝のあまりイエス様に300デナリの香油をささげたのでした。それがなかなか出来ないわたしたちですが、礼拝の中で御言葉を聴き、聖餐にあずかることによって、新たにイエス様と出会い、イエス様と交わり、少しずつイエス様に似た者に変えられていきます。そうなってはじめて、貧しい人々や弱い人々の力になることが出来ます。ナルドの香油は木の根っこから作られるので「地に足をつけるような土や草木を想わせるどっしりとした香り」がするそうです。そんなナルドの香りのように、わたしたちもただエレガントなだけの生き方ではなく、たとえ失敗してもそのたびにイエス様のいのちでよみがえり、周囲の人々に仕えていく、そのような、地に足がついたどっしりとした生き方をしていきましょう。自分ではなく、神様ご自身がそのようにさせてくださいます。

(永田 令 牧師)