今が礼拝の時

「今が礼拝の時」 2022/2/13 顕現後第6主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書4章23~26節

今年姫路教会は「今が礼拝の時」というあいことばを掲げ、「礼拝」について学んでいく予定です。主題聖句はヨハネ4:23「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです」。この言葉はサマリヤの女性が「礼拝の場所」について尋ねたことに対するイエス様の答えです。サマリヤ人は自分たちの神殿があったゲリジム山こそ「正しい礼拝の場所だ」と主張し、ユダヤ人は「エルサレム神殿が正しい場所だ」と主張しました。しかしイエス様は「ゲリジム山でもエルサレムでもない」と言われました。つまり「場所は関係ない」ということです。大事なことは「霊とまことによって礼拝する」ことです。「霊とまことによる礼拝」とは、「全身全霊で、集中して礼拝する」とか「大声で賛美歌を歌う」「持ち物のすべてをささげる」という意味ではありません。そのような人間の側の行為ではなく、神様ご自身が与え、救い、満たしてくださる。それを信じて受け取ることこそ「霊とまことによる礼拝」です。

当時の礼拝は、ゲリジム山でもエルサレムでも、「いけにえの動物」が捧げられていました。しかし、もはやそのようないけにえは必要ありません。なぜならイエス様ご自身がわたしたちの罪のためのいけにえとして十字架で死んでくださり、よみがえられたからです。イエス様はこのサマリヤの女性が今まで犯してきた罪をご存じでした。しかし彼女を責めることなく、ご自分が救い主キリストであることを明かされました。聖霊様の導きで十字架のイエス様を見上げ、救いの喜びを新たにして「感謝のいけにえ」を捧げること、これが「霊とまことによる礼拝」です。

「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です」の「今」とは、2000年前のことではなく、まさに2022年の「今」です。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです」(ヘブル13:8)。わたしたちも「今」イエス様を受け取り、あらためて感謝しましょう。その時わたしたちの賛美の声は自然に大きくなり、神様に何かをささげずにはいられなくなります。これこそ主が喜んで受け取ってくださるささげものなのです。

(永田 令 牧師)