絶望から始まるもの

「絶望から始まるもの」 2022/2/6 顕現後第6主日礼拝メッセージ

ルカの福音書5章1~11節

今日の聖書はシモン・ペテロが本格的にイエス様の弟子となる場面です。以前からシモンはイエス様のお手伝いをしていましたが、今日の出来事が漁師シモンの人生を変えました。シモンやアンデレがガリラヤ湖で網を洗っていると、イエス様に「舟の上から群衆に話をさせてほしい」と頼まれました。そして話が終わるとイエス様はシモンに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」(4)と言われたのです。じつはシモンたちは既に徹夜で漁をしており、一匹の魚も獲れなかったのでした。「先生は、天国については詳しいかもしれないけど、魚のことはわたしの方が詳しい。口出ししてほしくないな」とシモンは思ったことでしょう。わたしたちも「信仰のこと」と「日常のこと」を分けて考え、教会のことならともかく普段の生活にまでイエス様に口出ししてほしくない、と思ってしまう者ではないでしょうか?

しかしシモンは結局イエス様の言葉に従い、網を降ろしました。このように、まずは聖書の言葉に従ってみることが大切です。その結果、素晴らしい未来が開かれます。シモンが網をおろすと、網が破れそうになるくらいたくさんの魚が獲れました。その時シモンは「良かった!」とか「儲かった!」という気持ちではなく、イエス様へのおそれと、自分の罪に対する絶望を覚え、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(8)とイエス様に言いました。これは旧約聖書の預言者イザヤが、聖なる神様の姿を見て「ああ。私は、もうだめだ」(イザヤ6:5)と言ったのと同じです。これこそ聖なる神様の前に立った時の人間の反応です。しかしそんな汚れたわたしたちのために、イエス様は身代わりとなって十字架で死なれ、よみがえってくださったのです。そのおかげでわたしたちの不義は取り去られ、罪がゆるされました。

この「自分への絶望」と、「ゆるしの経験」をした者こそが、感謝の心で神様の呼びかけに応えることが出来ます。この日からシモンは「何もかも捨てて」イエス様に従い、やがて「ペテロ(岩)」となって、世界のキリスト教会の土台を築きました。わたしたちも自分の罪に絶望し、イエス様を仰ぎ見て、罪がゆるされたことを感謝しましょう。そこから素晴らしい未来が始まります。

(永田 令 牧師)