聖書が実現したとき

「聖書が実現したとき」 2022/1/30 顕現後第4主日礼拝メッセージ

ルカの福音書4章21~30節

イエス様がご自身の育ったナザレの会堂で旧約聖書を読まれ、そしてその旧約聖書が実現したと宣言されました。その後、周りにいた聴衆たちは、イエスを町から追い出し、崖から落とそうしたという結末でした。

 罪を持った人にとって「聖書の実現=罪からの解放と赦しの実現」は、
①理解できないもの、
②罪が明らかにされることや裁かれることが怖い、
③恐怖ゆえに拒絶したくなる
と思います。そして、ナザレの人々は聖書の実現よりもカペナウムで行われた奇跡を求めました。私たちも罪を持っているために同じような反応をしてしまうのではないでしょうか。

 私たちは、信仰や救いを自分で手に入れることはできません。むしろ、罪人の私たちはそれを拒絶します。しかし、私たちがお願いもしていないのに、イエス・キリストは、人として生まれてくださり、十字架にかかりよみがえり、聖霊を送ることによって救いを私たちのもとにも実現してくださいました。また、神様が私たちに信じる信仰を、聖霊を通して与えてくださいました。
そして、礼拝というのは「私たちが良いクリスチャンとして良い生活を送るために」あるわけではなく、この罪の中を生きている私たちが確かに、御言葉を通して、洗礼と聖餐によって罪からの救いをもらうためにあります。

救いとは、「罪の赦し」と「新しいいのち」です。

「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(Ⅰコリント13:13)」とあるように、神様は愛のゆえに罪人を裁かず、救いを実現してくださいました。私たちはもう罪から解放されています。そして、愛の中を生きていきます。

 私たちにはとうてい考えられない、理解できない神の平安が、私たちの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られますように。

(高平 真生伝道師)