イエス様の礼拝説教

「イエス様の礼拝説教」 2022/1/23 顕現後第3主日礼拝メッセージ

ルカの福音書4章14~21節

きょうの聖書はイエス様が故郷ナザレの会堂で「礼拝説教」をされた箇所です。その日イエス様は「いつものとおり」安息日に会堂に入られました(ルカ4:16)。ナザレで過ごされた約30年の間、イエス様は「いつも」安息日(土曜日)に会堂で神様を礼拝しておられたのです。安息日はキリスト教会で言えば「日曜日」です。毎週日曜日に神様を礼拝する、というのは、一見「変わった人」と思われるかもしれません。しかしそれはイエス様もされたことであり、生活の土台です。これからも「いつものとおり」神様を礼拝しましょう。

イエス様は「・・主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」(18-19)というイザヤ書の言葉を朗読され、「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」と言われました(21)。しかしナザレの人たちは、最初はイエス様をほめていましたが、「この人は、ヨセフの子ではないか」(22)と言って心を閉ざしました。いくら聖書の言葉を聞いても、自分の経験や固定概念を優先すると、罪の束縛からの赦免や自由を手に入れることは出来ません。

かつてバビロン捕囚から解放されたユダヤ人たちは、どこか形式的な礼拝をしていました。しかし朝から昼まで律法の朗読を聞き、続いてその解き明かしを聞いた時、彼らは律法を理解し、罪を悔いて涙を流したのです。このように神の言葉の前に身を低くする時、救いが訪れます。イエス様はわたしたち罪びとの代わりに十字架で死なれ、よみがえられました。このイエス様を信じ、その救いを受け入れる人は、罪がゆるされ、喜びと力が湧いてきます。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」(ネヘミヤ8:10新共同訳)。

これからも素直な心で御言葉を聞き、いつも十字架のイエス様に立ち帰りましょう。その時わたしたちは聖霊様に満たされ、自分らしい方法でイエス様のお働きをすることが出来ることでしょう。

(永田 令 牧師)