自由な、自発的な奉仕

「自由な、自発的な奉仕」 2021/2/7

マルコ1:29-39

ペテロのしゅうとめが熱病で苦しんでいた時、「イエスは彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした」(マルコ1:31)と書かれています。コロナの生活様式に慣れてしまったわたしたちは、つい「手を取っていいの?」と言いたくなりますが、イエス様はコロナウイルスにさえ命令できるお方ですから大丈夫です。わたしたち人間はディスタンスを取って直接触れないようにすべきですが、イエス様は今も「病人の手を取って起こす」ことが出来ます。だから今苦しんでいる人々のためにわたしたちが出来ること、それは「祈り」です。イエス様は病気の人や悪霊に取りつかれた人々のために休みなく行動する一方で、「朝早くまだ暗いうちに起きて、祈っておられ」ました(35節)。これがイエス様の行動力の源です。わたしたちも、他の人々のために祈ることをまず第一にして参りましょう。

もう一つ、イエス様の行動の原動力があります。それは相手を思う「愛」です。イエス様は下心で人々の病気を治したのではありません。ただ苦しみの中にある人が元気になり、笑顔になってほしいという一心からでした。それでイエス様は身を削りながら人々をいやし、挙句の果てに、すべての人間の苦しみと罪を背負って十字架で死んでくださいました。そのおかげでわたしたちは救われました。そのことをわたしたちはただ喜び、感謝すれば良いのです。何の代価も支払う必要はありません。何とありがたいことでしょうか?

このように天国を手に入れたことを喜んで、わたしたちは自発的に神様と人々に奉仕するのです。ペテロのしゅうとめは熱病が治ったとたん、喜んで、自発的にイエス様一行をもてなしました。これが本来の奉仕です。人間の意志や決意から発する奉仕(ボランティア)ではなく、イエス様がわたしたちにくださったものをわたしたちも人々に与えていく。その結果、人々がわたしたちではなくイエス様をほめたたえるようになる、これが教会の奉仕(ディアコニア)です。わたしたちも主から与えられた恵みに感謝して、自由に、自発的に人々に仕えて参りましょう。

(永田 令 牧師)