愛の光

「愛の光」 2021/2/14

マルコ9:2-9

今日は変容主日です。弟子たちの目の前で、イエス様の姿が真っ白に輝いたことを記念する日です。この変容の出来事を記した3つの福音書はすべて、この出来事がイエス様の「受難予告」のすぐあとに起こったと記しています。すなわち今日イエス様が見せた光は、イエス様が十字架の上から発した光を表しています。それは肉眼では見えない「愛の光」です。

「十字架のかげに われは立ちて み顔のひかりを 絶えず求めん この世のものみな 消ゆるときも くすしく輝く そのひかりを」(教会讃美歌386番)

皆さんは「もっと輝きたい」と思ったことはありませんか?「あの人、輝いている!」と言われたくてダイエットしたり、ポジティブな考え方を身に着けようとしたり・・。しかし一体だれが死刑台に はりつけになっている人を見て、「あの人は輝いている」と思うでしょうか?イエス様が十字架から放った光は、ご自分のための光ではなく、ご自身の死によってすべての人間を救いたいという強烈な愛の光です。わたしたちは自分が輝くために人を利用してしまう者ですが、そんなわたしたちのためにイエス様はお生まれになり、わたしたちの代わりに十字架で死んでくださいました。聖書は一貫してそのことをわたしたちに教えています。今日の箇所でイエス様と共にモーセ(律法の代表)とエリヤ(預言者の代表)が現れたのは、「聖書の律法と預言が、イエス・キリストによって成就した」ということを示しています。律法によって人は自分の罪を知り、預言によって救い主の存在を知ります。その救い主こそイエスキリストです。イエス様を自分の救い主として信じる人は罪がゆるされ、神様の子どもとして生まれ変わります。その人自身が他の人々のために「愛の光」を放つ者として生まれ変わるのです。今日、山の上でイエス様が放った光は、受難の光であると同時に復活の光でもありました。この光を受けた者は、たとえ大きな福祉活動ではなくても、目の前の1人の幸せを願い、その人のために自らをささげる人になります。何度倒れても、何度でも復活します。そしてそのたびに、わたしたちが放つ「愛の光」は輝きを増していくのです。

(永田 令 牧師)