真打ちの出番が来るとき

「真打ちの出番が来るとき」 2021/1/31 主日礼拝メッセージ

マルコ1:21-28

バプテスマのヨハネの逮捕をきっかけに、イエス様は本格的に活動を始められました。イエス様はヨハネのことを「旧約聖書に登場したあらゆる預言者よりも優れている。」と評価されました。それは、ヨハネの働きがなければ旧約聖書の預言者たちの働きがイエス様とつながらないからです。外から来て自分を汚すものとして罪を捉えるのではなく、自分の内側の問題として罪と向き合い、悔い改めるようにヨハネは説きました。落語の寄席で言えば旧約の預言者が「前座」、ヨハネは「二つ目」。そしてイエス様に至って「真打ち」の登場です。

イエス様が真打ちであることは、22節に「人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。」とあることからもうかがえます。権威ある者の権威とは何でしょうか?今日の箇所で「汚れた霊」が「ナザレの人イエス、いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」と言っています。人間に神への不信を植え付けた悪霊でさえ、イエス様の権威を認めました。しかしイエス様は「神の聖者」以上のお方です。すなわちイエス様は唯一の「救い主」です。イエス様のことを、病気を治したり悪霊を追い出したりする「神の聖者」だと認める人は当時もいました。しかし、イエス様を「自分自身を罪から救う救い主」として受け入れる人はほとんどいませんでした。救い主とは一般的な権威ではなく、「自分にとっての」権威です。

福音(良き知らせ)とは、この救い主が来たという知らせです。イエス様を信じる人の心を領土として、地上の神の国は成立しています。罪からの救いが大事である理由は、死んでから地獄へ行かないためだけではありません。苦難の多いこの人生に、人が意義を感じ、幸せであるためにも、罪から救われていなければなりません。人生にハッピーエンドがあることを知らせてくれる本当の真打ち、それがイエス様なのです。

(井上靖紹 長老)