まことの光

「まことの光」 2020/3/22

ヨハネ9:1-11、8:32

「光」は暗闇を照らし、見えなかったものを見えるようにしてくれます。これは肉眼だけではなく、「心の目」にも言えることです。

ヨハネの9章に、生まれつき目の見えない人が登場します。彼を見てイエス様の弟子たちは「この原因は彼の罪か?それとも両親の罪か?」と尋ねます。こうした因果応報的な考えに固執する人が昔からいたわけです。

しかしイエス様はこの考え方を完全に否定し「この人が罪を犯したのでも、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」と言われました。「神のわざ」とは、肉眼が見えるようになることだけではありません。もっと素晴らしいことが彼の上に起こっていきます。

この男の人は、目が見えるようになったあとパリサイ人と議論しました。パリサイ人は「自分たちは安息日に何もしていないから正しい。しかしイエスは安息日に治療しているから神の教えに反している」という考え方に固執していました。まるで因果応報的な考えに固執するかのように。

わたしたちにもこのパリサイ人のような、かたくななところがあるのではないでしょうか?聖書の言葉に素直に耳を傾けず、「自分の考えが一番」と思ってしまう。しかし素直な気持ちで聖書を読む時、わたしたちの心にまことの光が差し込み、心の中に罪の埃が渦巻いていることに気づきます。そして、イエス様はそんなわたしたちの身代わりに十字架で死んでよみがえられた、まことの救い主である、ということがわかるようになります。 きょう目が開いたこの男の人は、イエス様が自分の救い主であると告白しました。彼は肉眼だけでなく、心の目も開かれたのです。その時ヨハネ8:32「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」との御言葉通り、彼の心は自由になり、もはやユダヤ人の迫害も追放も恐れることなく、イエス様を礼拝しました。わたしたちも真理によって自由な心をいただき、イエス様の光で周囲の人々を照らして参りましょう。

(永田 令牧師)