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食品ロスとイースター
こんにちは、ブロガーマックです!
最近、私たちの教会の壮年会(既婚男性のグループ)では食品ロスが話題です。
今、日本で食べられるのに捨てられる食品は年間646万トンもあるそうです。
賞味期限が切れたといってもそれは、食べてはいけませんといったことはないそうなので、私も今日期限切れの納豆を食べてみました。
見た目は、少し色が濃いくなったかな?というくらいです。
食べてみた感想は、ちょっとザラ付き感がありましたが、好き嫌いのあまりない私には全く問題なく食することができました。
今日は復活祭。
賞味期限が過ぎて死んだはずの食品も、こうして食べてみると私の血となり肉となり、食品として生きかえりました。
イエス・キリストの十字架も、食わず嫌いではいつまでたっても神様の恵みを感じることはできないかもしれませんよ。
今日はイースター!
私たちの罪を贖い、十字架の死からイエス・キリストは復活しました!
あなたも、イエス・キリストの愛をいただきませんか?
↑教会員の娘様が作りました〜 食べられるんですよー食べるのもったいないくらいですねー(こちらは賞味期限は切れてませんよー)
教会ブロガー「マック」
私の信仰の始まり(3)〜神様からいただいた世界〜
教会に通い始めた私が、神様のことや聖書のことばをいつ頃から信じ始めたのかはよくわかりません。
でも、ほんの少し、ほんの短い間だけ、ちょっと信じていいことがあれば儲けもの。そのような今までの損得勘定の中に生まれた、ほんの小さな信仰から、神様の扉は私に大きく開かれていったのだと、今、固くそう信じています。
信仰が生まれて、その時生きていた自分の周りの殺伐とした世界観が大きく変わりました。
神様を信じ聖書を学ぶうち、私の生活態度も変えられていきました。
今まで、私の中で問題とされていたことがもはや問題ではなくなり、今まで気にも留めなかった事柄が私の中で懸案事項となっていきました。
神様の存在への疑心が、だんだん確信へと変わりました。
後から振り返ると、聖書の神様が与えてくださる私に対する応答はいつも的確でした。
そりゃあ神様なんだから当たり前です。
(さらに…)私の信仰の始まり(2)〜神様の導きの中で〜
私は今、今に至るまでのすべてのことにおいて神様からの導きがあったのだとの思いがあります。
私が歩んできた道の、すべての選択の場面で、その時の私が心を開いて聖書の神のことばに耳を傾けようとする時があったなら、こんなに信じることに時間がかからなかったのかもしれません。
ただ、私が神様を信じることができるようになる、その神様からの時間は49年間だったのです。
「楽しいことが多かったですか?」と聞かれれば、私は「そうでなかったことの方が多いでしょう」と答えるでしょう。
「でも今は?」と聞かれれば、それは今神様を信じていない多くの人々にもわかるくらいに、私にとっては当たり前の答えでしょう。
(さらに…)私の信仰の始まり(1)〜教会の門を叩いた日〜
2015年9月6日の雨上がりの日曜日、私は初めて当教会を訪れました。
教会の前に立ち、門柱のベルを鳴らし、門扉の前で待っていました。
しばらくは誰もでてこなくて、とても心細くなったことを覚えています。
「自分は何をやっているんだろう、わざわざ火中の栗を拾うようなことをして、しかもそれが誰のためになるかも知れないのに・・・もう帰ろう」と思っていたその矢先に、牧師先生の奥様が現れて、私を教会内へと案内してくれました。
一人で教会を訪ねた私でしたが、それは誰かの紹介でもなく、何かの案内を見た訳でもなく、また、教会にどなたかの知り合いがいたわけでもありません。
訪れる2ヶ月ほど前に、 (さらに…)