私の信仰の始まり(1)〜教会の門を叩いた日〜

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2015年9月6日の雨上がりの日曜日、私は初めて当教会を訪れました。

教会の前に立ち、門柱のベルを鳴らし、門扉の前で待っていました。

しばらくは誰もでてこなくて、とても心細くなったことを覚えています。

「自分は何をやっているんだろう、わざわざ火中の栗を拾うようなことをして、しかもそれが誰のためになるかも知れないのに・・・もう帰ろう」と思っていたその矢先に、牧師先生の奥様が現れて、私を教会内へと案内してくれました。

一人で教会を訪ねた私でしたが、それは誰かの紹介でもなく、何かの案内を見た訳でもなく、また、教会にどなたかの知り合いがいたわけでもありません。

訪れる2ヶ月ほど前に、職場の班員がチャペルでの結婚式をするというので、そのキリスト教の式に生まれて初めて参加したのがそもそものきっかけでした。

そして、その時とても高いチャペルの天井と内側の白壁を仰ぎ見て心に感じた光景が、チャペルのステンドガラスから差し込む光だったのです。

それはとても美しいものでした。

私はその時以来、どうも教会とキリスト教というものが気になって、そして、その気持ちがおさまる時もないまま「近所の教会に一度訪れてみよう」という私の気まぐれな心が起こったのです。

それまで私はキリスト教に関連していることなどを何か知っていた訳でもなく、どちらかというと教会は未知の世界でした。

以前の私にとってキリスト教とは異国の宗教で、この歳近くになるまでどうもそれらのことを理解しようとはしませんでした。

私はこの宗教が仮想敵国のように嫌いで、何百年も前から固有文化のある日本を侵食するエイリアンのように感じていました。

でも、世界に目を向けるととても信仰者の多い宗教、何千年もかけて世界の多くの国々いる多くの人々がキリスト教へと改宗していく。

そして私はキリスト教という宗教があまりにも関わりがなさすぎて何も知らない。

だから逆に、これだけ知らないことが多いキリストについて、少しは自分の知識として知りたいと思い、この教会に飛び込んでいったということもあると思います。

でもまあ、今となってはよく知りもしないのに幼少期から今までこんなに毛嫌いしていたなあと我ながら感心します。


私が初めて教会に来て、牧師先生に質問したことは「何かキリスト教のことがわかるパンフレットないですか」でした。

これは、その時の偽りのない本心で、私はキリスト教の概要を、さらりとあらわした(ちょうど会社案内のような)簡単な説明文で、キリストのことを知ろうとしたのです。

もし、その時、そのようなものを渡されていたら、私は礼拝に参加していなかったかもしれませんし、それで満足していたのかもしれません。

でも、教会員になってわかったのですが、そんなパンフレットごときの説明や、また、それで得た知識ぐらいで語れるほどこの信仰って薄っぺらなものではありませんでした。

教会ブロガー「マック」