神は助けなり

「神は助けなり」 2019/9/29

アモス6:1~7
ルカ16:19~31

今日の福音書は「逆転の中の逆転」と言える「金持ちとラザロ」の話です。金持ちはいつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていました。一方ラザロは全身おできの貧しい人で、金持ちの家の前で食べ物を切望し続けていました。この2人が死んだあと、ラザロはアブラハムのふところ(天国)へ行き、金持ちはハデス(地獄)に落ちました。人間は「死んだら終わり」ではなく死んだあと天国か地獄かどちらかに行く、という厳粛な事実を、この箇所は教えています。
それにしても、なぜこの金持ちは地獄に行き、ラザロは天国に行けたのでしょうか?生前幸せだった人が地獄に行き、生前苦しんだ人が天国に行くのでしょうか?そうではありません。「神を恐れず、神の律法を守らなかった人」が地獄に行くのです。今日の金持ちは目の前でラザロが苦しんでいるのを見ても手を差し伸べませんでした。律法には「貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない」(申命記15:7)とあるのに、この金持ちは心を閉ざし、そのことに何のおそれも感じませんでした。それで彼は地獄に落ちたのです。
ではラザロはどうでしょうか?彼は律法を守っていたのでしょうか?いいえ、彼も誰も助けず、おそらくこの金持ちのことも恨んでいたでしょう。しかし彼はそんな自分を嘆き、「神の助け」を求めていました(「ラザロ」=「神は助けなり」の意)。それで神様はラザロを、まさに「助けて」くださったのです。
わたしたちもこの金持ちとあまり変わらない者です。困っている人がいても、いろいろ言い訳をして心を閉ざす者です。しかしそんなわたしたちのかわりにイエス様が十字架にかかって下さり、地獄の苦しみを味わって下さいました。このイエス様に助けを求める時、わたしたちは助かります。「神は助け」だからです。
神様の助け、それは地獄からの救いだけではありません。愛のないわたしたちを日々イエス様と同じ姿に変えるために、聖霊様が助けてくださいます。こうして、人々がわたしたちを通してまことの神様を知るようになるのです。

(永田 令牧師)