福音によって走れ!

ハバクク2:1~4
ルカ17:1~10

今、わたしたちは「聖霊降臨後主日」の日々を過ごしています。この期間は、クリスチャンになった者がイエス様の弟子にふさわしい者として成長するための期間です。
きょうの福音書も、イエス様が「弟子たち」、つまりクリスチャンに語られた、非常に厳しい教えです。「この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです」(17:2)。わたしたちも、クリスチャンらしからぬ行動や言動で、人をつまずかせるようなことはないでしょうか?また「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい」(17:3)。教会の誰かがあなたに罪を犯したとき、わたしたちはちゃんと戒め、そして何度でもゆるしているでしょうか?
これらの教えに弟子たちも驚き、「私たちの信仰を増してください。」とイエス様に頼みました。「信仰の主導権はイエス様(神様)にある」、と彼らが思ったのは正解です。しかし信仰を「増してください」と頼んだのは間違いです。信仰は「量が増えたら」成長する、というものではありません。量より質です。たとえからし種ほどの信仰であっても、もしそれが「本物の信仰」であれば、罪の根を張ったようなわたしたちでも、根こそぎ動き出します。
では「本物の信仰」とは何でしょうか?それは本気で「悔い改める」ことから始まる信仰です。きょうの福音書で語られたような教えを「どうせ無理だから・・」と軽く流すのではなく、自分の現状を真剣に嘆くのです。その時、「こんなわたしの身代わりにイエス様は十字架で死んでくださった」という言葉が、ただの「情報」ではなく、まさに「福音」としてわたしたちに響きます。それによってわたしたちは立ち上がり、走り出します。
「主は私に答えて言われた。幻を板の上に書いて確認せよ。これを読む者が急使として走るために」(ハバクク2:2)。「これ」とは福音のことです。福音を、まさに「福音」(良い知らせ)として読む者は、それを告げ知らせる急使として走り出さずにはいられないのです。

(永田 令牧師)