なくならない恵み

「なくならない恵み」 2019/6/23

列王記第一 17:8~24

「恵み」という言葉は日本ではよく人の名前や「経済的に恵まれる」等のように使われますが、ノルウェーではほぼ聖書に限定した言葉です。きょうは「なくならない恵み」について、旧約聖書 列王記第一17章から、4つのポイントでお話しします。
①神様の恵みはその人の生活の状態とは関係ありません。貧しいか裕福か、病弱か健康かに関係なく、いつも神様の恵みはあります。エリヤは飢饉にあい、食べ物も飲み物もない時を過ごしましたが、その時も神様の恵みはなくなりませんでした。川の水や未亡人の女性によって神様はエリヤを救いました。
②毎日、朝食を食べたり家族と過ごしたりする・・・、そんな当たり前の生活の中に、なくならない恵みが既にあります。しかしそれを「恵み」と気付くのは、神様に従い、神様とコミュニケーションを取りながら歩む時です。「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」(詩23:1)。
③神様の恵みは多くの場合、「普通の人」を通して与えられます。エリヤを助けた女性は、特に信仰的な人というわけではありませんでしたが、いつまにかエリヤを助けていました。イエス様も、地上の両親や、宿屋の主人、5つのパンを差し出した子ども等、多くの人の手を借りて十字架の道を完成させました。人は皆、それとは知らずに神様の恵みの一翼を担っているのです。
④神様の恵みは、エリヤのように「みことば」を聞いて、それに従う時に体験します。「従う」というと厳しく聞こえますが、英語ではfollow(ついて行く)です。羊が羊飼いについて行くように、わたしたちはただイエス様について行けば良いのです。その時、神様のなくならない恵みを体験します。
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です」(Ⅱコリント9:8)。イエス様の十字架によって、わたしたちは永遠のいのちをいただきました。この恵みは永遠になくなりません。何という素晴らしいことでしょう。

(K.オペルード宣教師)