安らかな旅路

「安らかな旅路」 2018/12/30

エレミヤ31:10~14
ルカ2:25~40

今年最後の聖日礼拝となりました。皆様にとって、今年はどんな年だったでしょうか?うれしいこと、悲しいこと等、いろいろあったと思います。しかし、そのすべての出来事の中に、イエス様はいつも共にいてくださいました。
出産後のきよめの期間(男子の場合40日)の後、両親はイエス様を抱いて神殿にやって来ました。そこでシメオンとアンナという男女に出会います。
シメオンは「正しい、敬虔な人」と書かれています。しかしそれは彼の行いが正しかったとか、性格が温厚だったとか、そういうことではありません。「主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。」(26節)、また「私の目があなたの御救いを見た。」(30節)とあるように、「救い主に望みを置いていた」という、この一点だけが、彼が「正しい」と言われる所以です。今年のわたしたちの歩みにも、失敗や罪があったでしょう。しかし、救い主イエス様の十字架と復活により頼む信仰によって、あなたは「正しい」のです。
もうひとりのアンナは、若くして夫を亡くしてから60年以上、ひとりで神に仕え、84歳になっていました。一見寂しい人生です。「これは何かの罰?」と見る人もいたでしょう。しかし、彼女もまた「救い主」に望みを置いていました。「神様は必ずわたしを顧みてくださる。なぜならわたしを贖ってくださる救い主がいてくださるから」ということを彼女は信じていたのです。
そして今日、ついに2人は救い主イエス様と出会いました。か弱く貧しいその姿に、自分たちの弱さを担ってくださる救い主の本質を見て、すべての悲しみは喜びに変えられました(エレミヤ31:13)。そして喜びを持って、救い主のことを人々に知らせながら、残りの生涯を送りました。
わたしたちにも一人一人残された日々があります。それが長くても短くても、試練や失敗があっても、それは安らかな旅路です。イエス様の十字架と復活があるからです。だから安心して来年も歩み、喜んでイエス様を伝えましょう。84歳で救い主を伝えたアンナのように。(永田 令  牧師)