「あのね、ママ」

「あのね、ママ」 2018/12/23

ルカ1:39~45

クリスマスおめでとうございます。クリスマスはイエス様のお誕生日なのに、なぜイエス様ご自身にではなく、人と人とがお互いに「おめでとう」と言い合うのでしょうか? それは、イエス様がすべての人を罪から救うためにお生まれくださったからです。わたしたちは一見きれいに見えても、心の中に汚れた部分、闇の部分を持っており、そのままでは清い天国に行けません。しかし、そんなわたしたちの汚れをイエス様が背負い、わたしたちの身代わりに十字架で死んでくださり、よみがえられました。このイエス様を自分の救い主として心に迎え入れた時、その人は罪がゆるされ、聖なる者とされて、天国に入ることが出来ます。だから、イエス様が地上に来てくださったクリスマスは、世界中の人にとって、おめでたい日なのです。
きょうの福音書にマリヤとエリサベツが出てきます。どちらもお腹に赤ちゃんがいます。マリヤのお腹にはイエス様、エリサベツのお腹にはバプテスマのヨハネ。2人はとても幸せそうです。それは母としての喜びです。でもそれだけではありません。「救い主」をお迎えする喜びです。それは、性別や国籍や時代に関係ありません。「救い主が来てくださった。この方はわたしをすべての罪から救ってくださる。」という信仰が、信じるすべての人を喜びで満たします。「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」と45節でエリサベツが語っている通りです。
今日の出来事から約30年後、バプテスマのヨハネは見栄のために殺され、イエス様は妬みのために殺されました。わたしたちの中にも見栄や妬みがあります。でもそんなわたしたちのところにも、救い主はおいでくださいました。それを自分のこととして受け入れる人は、喜びにあふれ、神様から与えられた自分の使命を果たす人となります。赤ちゃんイエス様の心境を詩にすると、こうなるでしょう。「あのね、ママ 僕どうして 生まれてきたのか知ってる? 僕ね、ママや 世界中のみんなを助けるために 生まれてきたんだよ ぼくのいのちを、みんなにあげるために生まれてきたんだよ」(永田 令  牧師)