救い主は慈しまれる

「救い主は慈しまれる」 2018/10/21

ヘブル3:1~6
マルコ10:17~31

ある人が走り寄ってひざまずいて言いました。「尊い先生。永遠の命を自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」
ユダヤでは、金持ちこそ救われていると思われていました。弟子たちでさえそう思っていたのに、彼は客観的に自分を見つめ、救いを求めてきたのです。
イエスさまはその人を慈しんで言われました。「あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。」これは驚きの言葉です。イエスさまは、キリストを信じることで救われると言われてきたからです。どうしてそう言われなかったのでしょう。
それは彼のそれまでの生き方を捨てなさいということです。彼の話はヨハネの福音書のニコデモの話と共通しています。永遠の命を得るためには新しく生まれる必要がありました。人は出直さなければならないのです。しかし、彼にとって、金持ちであることは欠かせない彼のアイデンティティーでした。彼は悲しんで立ち去りました。
イエスさまは彼を慈しまれました。救い主は救われる人を慈しむのではなく、慈しむから人を救おうとされるのです。救いは100%神のわざです。人が成すべきことはただ一つ、立ち去らないことです。
わたしたちは救い主の慈しみの中にいます。慈しみの中にとどまりましょう。互いに励まし合って、立ち去らないよう支え合いましょう。
教会はそのためにあるのです。(井上 靖紹 長老)