何をしてほしいのですか

「何をしてほしいのですか」 2018/2/25

創世記28:10~22
マルコ10:32~45

今日の箇所は、いよいよイエス様が十字架にかけられる地、エルサレムに上って行かれる場面です。しかし弟子たちは、そのイエス様の十字架の死と復活の意味が理解できず、ただただ恐れを抱いていました。その結果弟子たちは『あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。』という、的外れなことをイエス様に求めます。2人は、自分たちが抱える恐れに打ち勝つためには、地位や権威といった力を得なければいけないと思ったのです。
これは、私たちの祈りにおいても当てはまるものではないでしょうか。私たちは、抱えている不安や悩み、恐れから解放されたいと神様に願います。
ですが、私たちを恐れから解放するものは、優れた能力や権威といった力ではありません。「神様ご自身が共にいてくださる」という、救いの約束によるのです。
創世記28:15『見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。』」
神様は私たちのことを愛し、憐れむがゆえに、この救いの約束を成し遂げてくださいました。それが、イエス様の十字架の死と復活です。罪があり、滅びの座に相応しい者であった私たちの代わりに、イエス様が全ての罰を引き受けてくださったのです。
そして、そのことを信じて洗礼を受けるなら、私たちは罪赦され、イエス様と同じ神の子としての命が与えられます。それは、神様が永遠に共にいてくださり、何でも大胆に祈ることができる命です。イエス様は、今日も私たちに尋ねてくださいます。「わたしに何をしてほしいのですか?あなたの望みは何ですか?」そして、それがどんな答えであっても、イエス様は私たちを責めることなく、むしろ痛みや苦しみに寄り添ってくださり、最善を成し遂げてくださいます。
これからもイエス様が与えてくださった救いの約束、愛と恵みに立ち返り、どんなことでも大胆に祈り求めて参りましょう。 (高橋恵聖書学院生)