荒野にかかる虹

「荒野にかかる虹」 2018/2/18

創世記9:8~17
マルコ1:12~13

14日(灰の水曜日)から四旬節に入りました。この日からイースターまでの40日間(日曜日を入れると46日)を、悔い改めとイエス様への感謝の日々としましょう。
今日の福音書は、四旬節を「40日間」と定める根拠となった箇所です。「そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。イエスは四十日間荒野にいて、サタンの誘惑を受けられた」(マルコ1:12-13)。イエス様は洗礼を受けて「すぐに」荒野に追いやられました。わたしたちの信仰生活も、洗礼を受けたからといっていつも平安と喜びに包まれているかというと、そんなことはありません。喜んだと思ったら「すぐに」試練に襲われたり、サタンの誘惑にさらされたり、神様を疑ったりする・・。それが信仰生活です。
しかし、わたしたちの現実がそのようなものだからこそ、イエス様は苦しまれ、身代わりに十字架にかかって下さいました。だから荒野の中で、もう一度イエス様の十字架を見上げ、「主よ、助けてください」と叫びましょう。その時、「わたしはあなたを救う」というイエス様の約束を、再び思い起こすことができます。
旧約聖書のノアは、40日間の洪水の果てに、虹を見ます。「わたしは雲の中に、わたしの虹(原語では「弓」)を立てる」(創世記9:13)。その意味は、「裁きの矢は十字架のイエスキリストに向けて射られた。だからあなたに対して弓を引くことはない。戦いは終わった。もうこの弓は雲の中に立てかける」ということです。この神様の約束を、虹を見るたびに思い起こしましょう。
ただ、晴天続きでは虹が出ないように、平穏な状態ばかりだと、わたしたちはイエス様の約束と感謝を忘れてしまいます。だから聖霊様は、わたしたちをあえて荒野へと放り出されるのです。その荒野の果てに、わたしたちはあらためて十字架のイエス様を仰ぎ見て、慰めと癒しをいただきます。こうして虹のように自分らしい「色」で、神様のお働きに参加することが出来るのです。 (永田 令牧師)