やぎと羊

「やぎと羊」 2017/11/26

エゼキエル34:11~16
マタイ25:31~46

今日は聖霊降臨後最終主日。教会暦では1年の最後の日曜日です。来週から待降節(アドベント)に入り、教会暦では新しい年に入ります。
アドベントと言うのはただイエス様の「お誕生」を待つだけでなく、イエス様が再び地上にやって来られる「再臨」を待つ期間でもあります。再臨の時のイエス様の来られ方は、最初のクリスマスの時と全然違います。クリスマスの時のようにひっそりとではなく、再臨の時は「栄光を帯びて」来られ、すべての国の人々がイエス様を仰ぎ見ます。そのときイエス様は、羊飼いが羊とやぎを分けるようにすべての人間をより分け、「羊」を御国へ、「やぎ」を永遠の火へと送ります。両者はいったいどのような基準で分けられるのでしょうか?
やぎと羊はよく似た動物ですが、じつは全然違います。羊と比べるとやぎは大変優秀な動物です。おくびょうな羊と違って勇気があり、高い崖でも登って行き、「やぎ飼い」がいなくても自分たちでリーダーを決めて、生きていくことが出来ます。それと同じように、今日の箇所で「やぎ」と呼ばれている人たちも、きっとリーダーになれるほど優秀な人たちであり、困っている人たちを助けたりもしたはずです。しかし、それらの行為は神様の目に認められてはいませんでした。なぜでしょうか?彼らは自分たちの力に頼って行なったのであり、本当の羊飼いであるイエス様により頼むことをしなかったからです。
人は皆、やぎのように自分勝手に歩み、「神のため」「人のため」と言いながら、自分のために生きています。そんな人間の受けるべき罰を、イエス様は十字架で代わりに受けて下さいました。このお方を自分の羊飼いと信じて素直についていくのが「羊」です。イエス様についていくなら、あとはイエス様が全部解決してくださいます。
イエス様を信じて洗礼を受けると、その人の中に聖霊が入り、自分でも自覚しないうちに、良い行いをなさせてくださいます。今日の箇所の羊たちにも、良いことをした自覚はありませんでした。これからも羊飼いであられるイエス様を仰ぎ見ながら、日々の自分の務めを果たして参りましょう。(永田 令 牧師)