もったいない!

「もったいない!」 2024/1/7

マルコの福音書1章4~11節

 明けましておめでとうございます。きょうは今年最初の日曜礼拝です。「礼拝」は英語で「サービス」です。人間から神様へのサービスではなく、神様が人間にサービスしてくださるということです。だから礼拝は「出なきゃダメ」なのではなく「出ないともったいない」のです。

さて、きょうはイエス様が洗礼をお受けになったことを記念する日曜日です。約30歳になられたイエス様が、救い主としての働きを始めるにあたって、ヨハネからバプテスマ(洗礼)をお受けになったのでした。ヨハネの洗礼は、いま教会で行われている洗礼とは違います。現在の洗礼は、水と一緒に聖霊も(目には見えませんが)注がれています。洗礼の水によって罪びととしての自分が溺れ死に、そこへ聖霊様がくだって神様の子どもに生まれ変わる、これが現在の洗礼です。しかしヨハネの洗礼では聖霊が注がれません。ただ自分の罪を認めて「悔い改めます」という意思表明でしかありません。つまり救いに至る入り口ではあっても、救いそのものではないのです。そういう意味では「律法」と同じです。律法は人に「神と他者を愛せよ」と命じます。大切な命令ですが、人には罪があるためそれを守ることが出来ず、最終的に罰を受けるしかありません。そのことに気づかせて、イエス様の洗礼に導くのが「律法」の役割です。

エペソ教会の伝道師アポロは雄弁な人でしたが、ヨハネの洗礼しか知りませんでした。それで彼の説教にも福音がなく、ただ「イエス様を模範にして生きよう」といった律法的なものでした。しかしアクラとプリスキラ夫妻によって福音を知り、イエス様を救い主キリストとして力強く語る人になりました。

このように、ヨハネのバプテスマは律法であり、イエス様のバプテスマは福音だと言えます。ところがイエス様は、そのヨハネから律法のバプテスマをお受けになったのです。それは私たち人間が、もう律法のバプテスマを受けなくてよくなるためです。イエス様は律法を完全に守られた末に、わたしたちの代わりに十字架で罰せられました。このイエス様を信じて洗礼を受ける人は聖霊を受け、神様の子どもとなります。今年益々礼拝で、神様からのサービスをたっぷりいただきましょう。でないと「もったいない」です!

(永田 令 牧師)