天国の椅子

「天国の椅子」 2023/11/5

マタイの福音書23章1~12節

 今年も皆様と共に召天者記念礼拝が出来て感謝いたします。いまイスラエルとパレスチナの戦闘が非常に深刻な状況です。旧約聖書の神様を信じているはずのユダヤ人が、なぜこんな殺戮をするのでしょうか?

今日の聖書でイエス様は群衆と弟子たちに語られました。「律法学者、パリサイ人たちは、モーセの座を占めています。ですから、彼らがあなたがたに言うことはみな、行い、守りなさい。けれども、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うことは言うが、実行しないからです」(2-3)。「律法学者、パリサイ人」というのはユダヤ人の中でも厳格に神の教えを守っていると思われていた人たちで、民衆からも尊敬されていました。しかし実は彼らが全く聖書を理解していなかったことを、イエス様は暴かれました。彼らは「モーセの座」、つまり十戒に代表される律法を、人々に教える立場にいました。律法を一言で言うと「神と隣人を愛せよ」ということです。自分を喜ばせるのではなく、神様が喜ばれる生き方をすること、そして他の人を幸せにすること、これが律法の本質です。しかし律法学者、パリサイ人は、言葉では律法を説きながら、実際は神様を悲しませ、隣人を苦しめていたのです。これは現代のイスラエルにも言えることです。そしてイエス様は私たちにも問うておられます。「あなたは神と隣人を愛していますか?」と。この問いに「はい、愛しています」と断言できる人は、一人しかいません。イエス様です。イエス様だけが完全に律法を守ることが出来、従って天国の椅子に座ることの出来るたった一人のお方です。しかしそのイエス様が、極悪な犯罪者だけがつけられる十字架につけられて処刑されました。それは律法を守れない、つまり神と隣人を愛せないわたしたちすべての人間の罪を背負って、身代わりに罰を受けてくださるためでした。このイエス様を救い主として信じる時、神様がわたしたちを高く引き上げ、天国の椅子に座らせてくださいます。「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます」(12)とはそういう意味です。天国の椅子は人を傲慢にするのではなく、へりくだらせ、感謝で満たします。こうしてその人は、喜んで神様と隣人を愛する生涯を歩み、静かに、穏やかに天国の椅子に座るのです。まるで隣の部屋へでも行くように。

(永田 令 牧師)