つまずきの石か、尊い礎石か

「つまずきの石か、尊い礎石か」 2023/9/3

マタイの福音書16章21~28節

  先週はペテロがイエス様のことを「あなたはキリスト(救い主)です。」(16:16)と告白し、それを喜ばれたイエス様も「あなたはペテロ(岩)です。」(18)とおっしゃった話でした。今日はその続きです。

ペテロたちがイエス様のことを「キリスト」と告白した時から、イエス様はご自分がエルサレムで祭司長たちによって苦しめられ、殺され、三日目に復活するということを予告し始めました(21)。ペテロたちは驚きました。キリストはダビデ王のように強く、諸外国を支配下に置き、イスラエルの名を世界にとどろかせる、そういうお方だと思っていたからです。しかし実は全人類の代わりに苦しみ、死に、復活することこそ、キリスト最大の任務だったのです。

イエス様の受難予告を聞いたペテロはイエス様に言いました。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません」(22)。「神の御恵みがありますように」というのは「神がそんなことを望むはずがない」という意味です。イエス様に生きて欲しいという自分の願望が「神の御心である」と決めつけたのです。自分を神の立ち位置に置くことは、最も悪魔に近い行為です。それでイエス様はペテロにおっしゃいました。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(23)。

わたしたちも神様の立ち位置に立って、神様を動かそうとする者です。本当なら「サタン」と呼ばれて暗黒の中へ落とされるべき罪人です。しかし、だからこそ「キリスト」であるイエス様が、わたしたちの代わりに十字架で苦しまれ、死んで、よみがえってくださったのです。このお方を自分の救い主として信じ、洗礼を受ける人は、誰でも罪から救われ、サタンではなく神様のしもべとなります。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない」(ローマ 9:33)。人間を救うために「つまずきの石」となって捨てられたイエス様。このお方に信頼する時、その人は誰かの「つまずきの石」から、誰かの「尊い礎石」に変えられます。ペテロやオネシモがそうであったように。

(永田 令 牧師)