イエスなのにキリスト、シモンなのにペテロ

「イエスなのにキリスト、シモンなのにペテロ」 2023/8/27 主日礼拝メッセージ

マタイの福音書16章16~20節

   今キリスト教会は「聖霊降臨後主日」という期間を過ごしています。クリスチャンが成長するための期間です。成長するための「土台」とは何でしょうか?

イエス様がピリポ・カイザリヤに来られた時、弟子たちに質問されました。「人々は人の子をだれだと言っていますか」(13)。「人の子」というのはイエス様ご自身のことです。元々「人間」を指す言葉ですが、旧約聖書ダニエル書は「人の子=キリスト(救い主)」と記しています。ところが弟子たちから返って来た答は「バプテスマのヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」…といった「預言者」ばかりでした。預言者はキリストを指し示した人であって、キリスト自身ではありません。次にイエス様は「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(15)と弟子たちにお尋ねになりました。今度はご自分のことを「人の子」ではなく「わたし」とおっしゃっています。弟子たちが共に生活し、食事し、汗の匂いまで知っている「生身のイエス」を、「あなたたちは誰だと思うか?」とお尋ねになったのです。するとペテロが「あなたは、生ける神の御子キリストです」(16)と答えました。「あなたは聖書が預言した救い主です」と告白したのです。救い主というのは、ただ神々しい「雲の上の存在」ではなく、汗もかき、涙も流し、血も流す。まさしく「人間」なのです。だからこそ、わたしたち罪ある人間の罪を背負って身代わりに死なれ、人間の罪を償うことが出来たのでした。

ペテロの告白を聞いてイエス様は「あなたは『幸い』です」と言われました(17)。「あなたは神に祝福されている」という意味です。この信仰告白自体、ペテロ自身の力ではなく神様が与えてくださったものです。さらにイエス様は「わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。」(18)と言われました。「ペテロ」には「岩」という意味があります。その言葉通り、ペテロはのちにキリスト教会の基礎を築く人になりました。あわてんぼうで自意識過剰な「シモン」が、「ペテロ(岩)」として用いられたのです。わたしたちも「人間イエス」を「わたしのために死んでよみがえられた救い主キリスト」と告白するなら救われ、どんなに欠点が多くてもイエス様のお役に立つことが出来ます。各自が「イエス様のからだ」のどこかの器官となることが出来ます。その信仰こそが、キリスト教会の「土台」なのです。

(永田 令 牧師)