だんだんと、ゆっくりと

「だんだんと、ゆっくりと」 2023/4/23 復活節第三主日礼拝メッセージ

ルカの福音書24章13~35節

今日の聖書は、イエス様の復活の記事の中でも特に感動的な箇所です。イエス様が復活された日、2人の弟子がエルサレムを離れ、エマオという村に向かっていました。その日は朝から「イエス様のお墓が空っぽだった」などの情報が入っていたのですが、その現場であるエルサレムを2人は離れようとしていたのです。この2人には「イエス様が復活されたのでは?」という希望はありませんでした。希望がなければ告白も出来ません。

ところがエマオに向かう途中で、1人の人が近づいて来たのです。それはイエス様ご自身でした。しかし2人は「目がさえぎられていて」(16)、イエス様だと気づきませんでした。イエス様が目の前におられるのにそれがわからず、いつまでも失望し続ける…これがわたしたち人間です。イエス様はそんな2人の道をふさいだり、2人を怒ったりせずに、いつのまにか2人と一緒に歩いておられたのです。エマオに向かう失望の道をです。イエス様は彼らの失望や悲しみを一緒に背負ってくださったのでした。

エルサレムで起こった出来事について2人が話すのを聞かれたイエス様は、救い主が苦んだ後に栄光を受けることを聖書の様々な御言葉によって説き明かされました。キリストの死と復活こそあなたたちの救いなのだと。それを聞いているうちに、2人に変化が生じます。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」(32)。

一行はエマオに着きましたが、2人は「わたしたちと一緒にいてください」とその人に強く頼みました。そしてその人がパンを裂いて自分たちに渡す姿を見て、「イエス様だ」とわかったのです。そのとたん、イエス様の姿は見えなくなりました。イエス様と出会うのに、肉眼で見る必要はありません。聖書の御言葉と聖餐式によって、今もイエス様はわたしたちと出会ってくださいます。強引にではなく、だんだんと、ゆっくりと。そしてそれがイエス様だとわかった時、わたしたちの行動は変わります。失望のうちにエルサレムを離れた2人は、夜道も恐れずにエルサレムに戻りました。仲間たちにこの出来事を知らせるために。復活のイエス様と出会った人には、本当の兄弟愛が芽生えるのです。

(永田 令牧師)