もう無理です。

「もう無理です。」 2023/4/16 復活節第二主日礼拝メッセージ

ヨハネの福音書20章19~31節

キリスト教会では日曜ごとに礼拝します。旧約聖書の時代は安息日である土曜日に礼拝していました。なぜ日曜になったのかというと、イエス・キリストが復活されたのが「週の初めの日」、つまり日曜だったからです。天地創造の時、暗闇の世界にまず光が輝いたのが「第一日目」、つまり日曜日でした。

イエス様が復活された日の夕方、弟子たちは部屋に集まっていました。墓に行った女性たちから「イエス様はよみがえった」と聞かされていましたが信じられず、敵を恐れて部屋に鍵をかけていました。彼らはまだ「闇」の中にいたのです。しかしイエス様はそんな壁などモノともせず、部屋の中に立たれました。どんなに闇が深くても、罪が深くても、最後は光が勝ちます。その根拠はイエス様の十字架です。イエス様は弟子たちに、十字架で傷ついた手やわき腹をお見せになりました。この傷跡こそ、わたしたちの救いの証拠です。わたしたちの弱さも不信仰も、イエス様は全部引き受けて死んでくださり、よみがえられた。イエス様の傷を見た時、弟子たちはそれを確信したことでしょう。

イエス様が部屋に来られた時、トマスという弟子だけが不在でした。彼以外の弟子たちが「主を見た」と言っても「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」とトマスは言いました(25)。「よりによって私がいない時に・・」という寂しさもあったのでしょう。しかし1週間後の日曜日、イエス様は再び部屋に来られました。そしてトマスに「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言われました(27)。姿が見えない時もイエス様は部屋におられてトマスを気にかけ、彼の言葉を聞いておられたのです。今もイエス様は、日曜ごとに、御言葉と聖餐を通してわたしたちと出会ってくださいます。日曜だけでなく普段の生活の中にも、イエス様はいてくださいます。そのことが信じられず、闇が心を覆う時は、素直に言いましょう。「もう無理です。あとはあなたがやってください」。それでOKです。事実イエス様が、死と復活をやり遂げてくださったのですから。

(永田 令牧師)