頭(かしら)を上げよ

「頭(かしら)を上げよ」 2021/11/28 待降節第一主日礼拝メッセージ

ルカの福音書21章25~36節

今日から待降節(アドベント)に入り、教会暦では新しい年になりました。今日から礼拝ではおもに「ルカの福音書」を読みます。ルカは医者ですから冷静に、エビデンス(客観的根拠)に基づいて福音書を書きました。今日の21章にはイエスキリストの再臨(もう一度地上に来られること)について書かれています。太陽や月や星が崩れ落ちる等の大災害が起こった後、イエスキリストが雲に乗って天からやって来られると書いてあります。「そんなの空想話だ」と思われるかもしれません。しかしルカは冷静にこれを書きました。そのエビデンスは、このことが何百年も前から預言されていたことです。紀元前500年頃ダニエルは「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ・・」と預言し、イザヤは紀元前700年頃「見よ。主の日が来る。残酷な日だ。憤りと燃える怒りをもって、地を荒れすたらせ、罪人たちをそこから根絶やしにする」と預言しました。「主の日」はキリストが罪びとたちを裁くために来られる「怒りの日」です。そう考えるととても怖く、頭が下を向いてしまいます。

しかしルカ21:28にはこう書かれています。「これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです」。
「贖い」とは「身代金を支払って奴隷・捕虜を自由にすること」です。身代金とはイエス様のいのちです。すべての人は罪がありますので、「怒りの日」に裁かれる運命でした。しかしその罰を代わりに受けるために、イエス様はクリスマスに人間として生まれ、十字架で死んでくださったのです。このことを信じる人は「贖われ」、自由になります。もう罰を受ける必要はありません。その人はいつイエス様が来られても大丈夫。その日はむしろすべての悲しみや苦しみからも解放される喜びの日となったのです。その日が来るまで、わたしたちはいつも聖書に書かれた「十字架の言葉」(イエス様の十字架でわたしたちが既に救われているという事実)にとどまりましょう。またよからぬ思いや誘惑が襲って来ても、そこに「ホバリング(とどまること)」をしないでパッと気持ちを切り替えましょう。そして「いつも油断せずに祈っていなさい」(ルカ21:36)。それらを心がけるなら、わたしたちは常に「頭を上げて」過ごすことが出来ます。

(永田 令 牧師)