奴隷と自由

「奴隷と自由」 2021/10/31 宗教改革日(聖霊降臨後第23主日)礼拝メッセージ

ヨハネ8:31-36

きょう10/31はマルチン・ルターの宗教改革を覚える日です。わたしたちにもきょう新たな信仰の目覚めがあるように、真剣に御言葉を聞いて参りましょう。

今日の箇所でイエス様はユダヤ人たちにおっしゃいました。「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)。この言葉は国会図書館の入り口にも掲げられていますが、ここでイエス様が言われた「真理」とは、イエス様ご自身のことです。「イエス様が私たちを自由にする。」・・いったい何から自由にするのでしょうか?これを聞いたユダヤ人たちは思いました。「自分たちは奴隷でも囚人でもない。今すでに自由だ」。現代でもそういう人が多いと思います。しかしイエス様は「罪を行っている者はみな、罪の奴隷です」と言われました(34節)。良いことだとわかっているのに出来ない。悪いことだとわかっているのにやめられない。それは人間が「罪の奴隷」だからです。罪の奴隷の最も大きな特徴は、「神様から自由になろうとする」ことです。「神様に監視されず、思い通りに生きたい」・・しかしそれは「自由」ではなく「罪の奴隷」なのです。そして最後は罪の結果として永遠の「死」を迎える、これが罪の奴隷の結末でした。

しかしそんなわたしたちのためにイエス様が十字架にかかられ、ご自分のいのちという「身代金」を支払ってくださいました。誰でも自分が罪の奴隷であると認め、「イエス様はわたしの身代わりに死んでくださった」と信じるなら、罪の奴隷からも、罪の結果である死からも自由にされ、永遠のいのちを持ちます。

イエス様はわたしたちを「律法」からも自由にしてくださいました。「律法を行わなければ神様から罰がくだる」という考え方からの自由です。ルターの宗教改革は、まさにこの「律法からの自由」の再発見でした。神様の怒りを鎮めようと必死で難行苦行をしたルターでしたが、ついに、人が義とされるのは自分の行いによるのではなく、ただイエス様を信じる信仰による、ということを聖書から再発見します。喜びにあふれた彼はこの福音を世界中に発信し、ペストに恐れおののいていた当時の民衆に大きな平安を与えたのでした。

イエス様を信じて洗礼を受けた人には聖霊様が与えられます。その結果、心の中に律法が刻まれ、ルターが言ったように「すべての者の上に立つ自由人であると同時に、すべての者に奉仕する奴隷」になるのです。

(永田 令 牧師)