涙の中の晩餐会

「涙の中の晩餐会」 2021/11/7
 全聖徒主日(聖霊降臨後第24主日)礼拝メッセージ

ヨハネの福音書11章32~44節

きょうは教会員のみで召天者記念礼拝を行いました。イザヤ25:6に「万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。」とあります。これは天国の晩餐会です。イエス様はわたしたちの罪を背負って身代わりに十字架で死んで、よみがえられたことによって、永遠に「死」を滅ぼしてくださいました。死者の顔にかけるあの「布」も取ってくださいました。こうしてわたしたちは天国の晩餐会の席に着くことが出来るようになったのです。

きょうの福音書は、イエス様が友人のラザロをよみがえらせる箇所です。ラザロが病気になった時、ラザロの2人の姉、マルタとマリヤはすぐイエス様を呼びました。しかしイエス様が到着されたのは、ラザロが死んで葬られてから4日もたった後でした。2人の姉妹は「イエス様はわたしたちのことをそれほど愛してくださってはいなかったのか?」と思ったことでしょう。しかしそうではなく、彼女たちのことを愛していた「からこそ」遅れて行かれたのです。ご自身が死さえも滅ぼす方であることを知らせ、永続的な喜びを与えるためです。わたしたちもイエス様に祈っているのに変化がないような時もあります。しかしイエス様はわたしたちを愛するがゆえに、一番良い時に、一番良い方法で祈りを聞いてくださいます。信じて祈り続けましょう。

しかし、理屈ではわかっていても、やっぱりつらくて、泣いてしまうのがわたしたちです。でもイエス様はそれをお責めになりません。それどころか、一緒に泣いてくださるお方です。ラザロの墓の前で「イエスは涙を流された」(35)。そして人間をこんなにも苦しめる死と悪魔と罪に対して憤りを覚えられました。そしてこれらを滅ぼすために、ご自分が十字架で死んでくださったのでした。このイエス様の血と涙のゆえに、わたしたちは救われたのです。

最初に読んだ天国の宴会は、ただ死んだ後の話ではありません。イエス様を信じる者には、今がすでに宴会なのです。地上には悲しみも涙もありますが、絶望はありません。涙の中にも希望があります。こうして飾らずに自分らしい姿で主に仕えていく、そんな日常こそ、わたしたちにとっての晩餐会なのです。

(永田 令 牧師)