もう一度帰ろう

「もう一度帰ろう」 2021/10/3 聖霊降臨後第19主日礼拝メッセージ

マルコ10:1-16

やっと対面での礼拝が再開できました。イエス様はいつものようにわたしたちに御言葉を語ってくださいます。感謝して聞いて参りましょう。

イエス様がエルサレムに近づき、十字架にかかる日が迫って来た時、パリサイ人たちがやって来て、「夫が妻を離別することは許されるかどうか」と質問しました(2節)。彼らは「イエスをためそうとした」のですが、パリサイ人といえどもこの問題は切実だったはずです。敵意からではなく、もっと正直な気持ちで尋ねれば、きっとイエス様も親身になって答えてくださったことでしょう。

この問題について「モーセ(律法)は、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」とパリサイ人は言いました(4節)。しかしイエス様はモーセよりも古い天地創造までさかのぼり、「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となる」(創世記2:24)、これが本来の神様の御心である。だから、神様が一体とされたものを、人は引き離してはならない、と言われたのです。

イエス様がこのように厳しいことを言われたのは、人間が自分の罪に気づき、イエス様に助けを求めるようにさせるためでした。神様が最初の男(アダム)と女(エバ)をお造りになった時、2人はまさに一体になれました。神様と共にいたからです。しかしその後2人は神様に禁じられていた木の実を食べ、神様から離れてしまいました。その結果、かたくなで、無慈悲で、頑固な心になり、夫婦であっても心かよわず、他の人とも争いが絶えなくなってしまったのです。

しかしイエス様は、神様に造られた頃の本来の人間に帰りなさいと言われたのです。そのためにイエス様ご自身が十字架にかかってくださり、わたしたちの代わりに罰を受けてくださいました。誰でも自分のかたくなさや無慈悲さを認めてイエス様を信じ、洗礼を受けるならば、新しいいのちに生きる者となります。

もちろん人は、クリスチャンになった後も罪を犯します。やむを得ず離婚する場合もあるでしょう。しかしそんなわたしたちのためにもイエス様は死んでくださいました。だから赤ちゃんのように泣きながら、叫びながら、イエス様の胸に帰りましょう。そうすればもう一度わたしたちの心に、主からのいやしと、喜びが湧いてくることでしょう。

(永田令 牧師)