傷から差し込む輝き

「傷から差し込む輝き」 2021/4/25 主日礼拝メッセージ

ヨハネ10:11-18

羊という動物は群れで行動することが多く、1匹が動き出すと皆が一斉に同じ方向に走る傾向があるそうです。そう考えると、聖書がいろいろな箇所で人間を羊にたとえているのももっともな気がします。そんな羊たちを正しい方向に導く羊飼いがイエスキリストである、と聖書は教えています。

「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)。この「良い」という言葉には「魅力的な」とか「美しい」という意味があります。イエス様はわたしたちにとってどう魅力的なのでしょうか?

11節に「羊のためにいのちを捨てます」とあるように、イエス様は羊、すなわちわたしたち人間のことを、ご自分の命よりも大事にしてくださいました。わたしたちは本質的に他人よりも自分が大切です。今日の箇所に「悪い羊飼いは、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる」とありますが、じつはこれはわたしたちの姿です。泣いている人や傷ついた人が近くにいても、それより自分の都合を優先してしまうわたしたち。これは神様の戒めに反することであり、本当ならば裁きを受けなければなりません。しかしイエス様がわたしたちの身代わりに十字架で裁きを受けてくださいました。イエス様は「人間」という団体ではなく「あなた一人のために」死んでくださったのです。そして3日目によみがえられました。それと同じように、イエス様を信じて洗礼を受けた人は罪びととして死に、イエス様から与えられた命によって生まれ変わります。

イエス様の命で生まれ変わった人は、今度は自分が誰かのための「良い牧者」になっていきます。良い牧者の「良い」には「欠けたところがない」という意味があります。「まさか。自分は欠けたところだらけだ」と思うかもしれません。
しかしそんな欠けだらけのわたしたちのためにイエス様は十字架にかかってくださいました。だからわたしたちがいつもイエス様という牧者の声を聞き、日々悔い改め、イエス様の十字架に感謝して生きる時、わたしたちの「欠け」からイエス様の輝きが差し込み、周囲の人々を緑の牧場に導くのです。傷があるからこそ、そこに光が差し込んで美しく輝くステンドグラスのように。

(永田 令 牧師)