からだを使おう

「からだを使おう」 2021/4/18 主日礼拝メッセージ

ルカ24:36-48

今日の聖書は、イエス様が復活された日の夕方、部屋に弟子たちが集まっているところへ、よみがえられたイエス様が来られた箇所です。先週も同じ場面でしたが、先週の箇所以上に強調されているのは「イエス様は実際に肉体をもって復活した」という点です。「わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。わたしにさわって、よく見なさい。霊ならこんな肉や骨はありません。わたしは持っています」(ルカ24:39)。イエス様はそう言われ、あげくの果てに焼き魚まで食べられたのです。

昔から「キリスト仮現説」というものがあり、「イエスキリストは肉体のない、霊的な存在だった」と説明します。しかし今日の箇所でイエス様が強調されたように、イエス様が肉体を持って生まれ、肉体を持って死なれ、肉体を持って復活されたということが、決定的に重要なのです。なぜならそれによってわたしたち人間の罪のゆるしが実現したからです。本来わたしたちが受けなければいけない罪の罰を、代わりにイエス様が十字架で受けて、苦しみの果てに死んでくださり、本当によみがえられた。それによってわたしたちの罪は本当にゆるされ、永遠のいのちをいただくことができるようになったのです。

こうして罪がゆるされて新しいいのちをいただいた人には、自分自身の体をフルに使ってイエス様の証人となる、という新しい使命が与えられます。「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です」(46-48節)。

イエス様が手や足や口、そして胃袋までも総動員させてご自分の復活を証明されたように、わたしたちも手や足や、からだ全体を使ってイエス様の復活を伝えましょう。料理や手紙や運転や励まし等、一人一人が自分らしい方法でイエス様の証人としての務めを果たしましょう。イエス様の十字架と復活によって、わたしたちの心も体も魂も、イエス様の証人にふさわしく造り変えられたのですから。

(永田 令 牧師)