ほんとうの自由

「ほんとうの自由」 2020/5/3

ヨハネ10:1-10

すべての人が心から願っているもの…それは「自由」です。しかしほんとうの自由とは何でしょうか?「誰からも指図されずに、好きな時に好きな所へ行ったり、好きなものを手に入れたりできること」でしょうか?

聖書ではよく、人間を「羊」に、神様を「羊飼い」にたとえています。「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません(詩篇23:1)」等です。きょうのヨハネ10:1にも「羊の囲い」という言葉が出てきます。これは夜の間、羊たちが休むための囲いです。この囲いの中で休み、朝、羊飼いに導かれて餌のある場所へ行く・・・これが羊にとって一番安心できる生き方です。

「誰にも指図されずに、好きなことをする」・・それが自由だとわたしたちは思いがちです。しかし聖書には「人間は罪の奴隷」と書かれています。良いことをしたいと願っているのに出来ず、やってはいけないと思っていることをやめられない…。まさに奴隷状態です。これが「羊の囲いの外」です。羊飼いのいない毎日は、一見自由なようですが、猛獣のような悪魔の餌食になるしかありません。

しかしイエス様は、そんなわたしたち羊のために、十字架で命を捨ててくださいました。「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます」(ヨハネ10:11)。自分では罪しか選べない愚かな羊であるわたしたちの身代わりに、イエス様が命をかけて、わたしたちを救ってくださったのです。このイエス様を救い主、すなわち自分の羊飼いとして受け入れる時、その人は羊の囲いの中で安心して生きることが出来ます。その人はすべての罪がゆるされています。ほんとうの自由は「囲いの中」にこそあるのです。 そして「すべてがゆるされている」と知った人は、好き勝手に生きるのではなく、むしろ自分よりも神様と他者のために生きることを願うようになります。「ほんとうの自由」は「ほんとうの愛」を生み出すのです。「キリスト者は、全てのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。キリスト者は、全てのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する」<マルチン・ルター>

(永田 令牧師)