隠れたる神

「隠れたる神」 2020/5/10

ヨハネ14:1-14

「神がいるならはっきり見せてほしい」これは人間の本質的な願いです。イエス様の弟子の中にもそういう人たちがいました。

最後の晩餐の席で、イエス様が「わたしの行く道はあなたがたも知っています。」(ヨハネ14:4)とおっしゃった時、トマスは「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。」と言いました。彼は特に不信仰だったわけではなく、自分で納得しなければ先へ進めないタイプだったのです。わたしたちもわからないことがあれば遠慮なくイエス様に尋ねましょう。イエス様は一番適切な答えを与えてくださいます。

トマスの質問にイエス様はお答えになりました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(14:6)。この翌日、イエス様は十字架につけられて死なれました。わたしたちの罪の身代わりに罰を受けてくださったのです。そして3日目によみがえられ、ご自分が確かに天国への道であり、唯一の真理であり、永遠のいのちを与えてくださるお方であることを証明されたのでした。 もう一人、「見ないと信じない」と言った弟子がいました。ピリポです。彼は「私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」(14:8)と言いました。すべての人はこう思っているので、神様の姿を目に見える偶像にして拝んできました。しかし真の神様はご自身を隠されるお方です。誰も神様を見ることは出来ません。ただ、十字架で死んでよみがえられたイエス様を通してのみ、わたしたちは神様を垣間見ることが出来るのです。イエス様を信じる時、その人はただ自分が永遠のいのちにあずかるだけでなく、他の人々に神様を見せる器となります。いや既になっています。今週も御言葉を読んで、わたしたちのために死んでよみがえられたイエス様を仰ぎ見、そして「神様を人々に垣間見せる器としてわたしをお用いください」と祈りながら歩んで参りましょう。

(永田 令牧師)