みことばの力

創世記3:1-7
マタイ4:1-11

イエス様の苦しみを覚える「四旬節」に入りました。先週の「灰の水曜日」からイースターの前日までの40日間(日曜日は除く)が四旬節です。「40」という数字は、今日の福音書に出てくる「荒れ野の40日」から来ています。

マタイ4:1の「悪魔」という言葉(ギリシャ語でディアボロス)には、「中傷する者」「悪口を言う者」、などの意味があります。これならすぐに悪魔だとわかります。しかし実際にイエス様に近づいて来たのは「試みる者」(ペイラゾーン=試練を与える者)でした(3節)。まるで、神様がわたしたちの信仰を育てるために試練を与えるような雰囲気で近づいて来たのです。これが悪魔のやり方です。創世記3章でアダムとエバを誘惑した時も、蛇(悪魔)は最初、神様の言葉をちょっとだけ変えて語りかけ、最後には全く正反対の「この実を食べても決して死なない」という言葉でアダム達を騙しました。これが悪魔の正体です。

しかしこのように、悪魔が「神様みたいな姿」で近づいてくるとしたら、「これは悪魔の誘惑なのか」「それとも神様からの試練なのか」を判別することは非常に難しいのではないでしょうか?ギリシャ語でも「誘惑」と「試練」は同じ「ペイラスモス」という単語です。自分だけでは見分けられません。これを見分けるための秘訣、それは今日の箇所でイエス様がされたように「みことばの力」により頼むということです。

今日の箇所で、イエス様は3度の誘惑をすべて聖書の言葉で跳ね返しました。特に2つ目の誘惑は、悪魔の方も聖書の言葉を「利用」して来ましたが、イエス様は真にみことばへのおそれをもって勝利しました。みことばは、自分の意見を通すためにあるのではなく、自分の罪が示されて主の前にひざまずき、「こんなわたしだからこそ、御子イエス様が身代わりに十字架にかかってくださったのだ」ということを再認識して、喜びにあふれるためにあります。 わたしたちも、教会や家庭において、へりくだった心でみことばを聞きましょう。そして十字架の愛にあらためて衝撃を受け、かたくなな心を砕いていただきましょう。それを見て、周りの人々の心もまた、砕かれていくことでしょう。

(永田 令牧師)