大きな宇宙、小さな私

「大きな宇宙、小さな私」2020/1/5

エペソ3:1-12
マタイ2:1-12

 きょうは、東の国の博士たちが幼子のイエス様を拝みにやって来たことを記念する「主の顕現」の礼拝です。この博士たちは天文学の専門家であり、普段から星について調べていました。星の動きの正確さや美しさに心打たれ、「この宇宙を支配している偉大な存在があるに違いない」ということを普段から感じていたと思われます。わたしたちもスマホやテレビばかりに目を向けるのではなく、宇宙の大きさや、イエス様が言われたように空の鳥や野の花に目を向けましょう。その時あらためて偉大な神様の存在を感じることでしょう。
 しかし、きょうの博士たちが、ただ星を見て「ユダヤの出来事」とわかったのはなぜでしょうか?それは昔ユダヤ人によって東の国(バビロンやペルシア)に聖書がもたらされ、博士たちはそれを読んで救い主の預言を知っていたからだと思います。たとえ大自然を見て感動しても、それだけでは本当の神様を知ることは出来ません。わたしたちは聖書の言葉によってはじめて本当の神様と出会い、本当の救い主と出会うことが出来るのです。だから今年も大自然の美しさに目を向けつつ、聖書の御言葉をしっかり読み、学んで参りましょう。
 東の国の博士たちは、星を見、それが救い主誕生のしるしであることもわかりました。しかしその時、「私たちとは関係ない。私たちは汚れた異邦人だから」とは言いませんでした。「この方は私たち異邦人の救い主でもある」ということを認めて、はるばるベツレヘムまでやって来て、喜びつつ主を拝み、高価な贈り物を捧げました。パウロも「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に、この恵みが与えられた」と手紙に書いています(エペソ3:8)。自分が小さな者であり、汚れた者であるということは認めつつ、「しかしこんなわたしのために、神様は救い主イエス様をお送りくださり、十字架につけてわたしを救ってくださった」・・・このことを知る時、人は喜びにあふれます。そして、きょうの博士たちのように喜んで主を礼拝し、惜しみなく主に贈り物を捧げる者となります。またパウロのように福音に仕える者となり、自分らしい方法で救い主イエス様を人々に知らせる者となるのです。

(永田 令牧師)