天、共に在り

「天、共に在り」 2019/12/22

マタイ1:18-25

クリスマスおめでとうございます。

クリスマスには「幸せ」とか「喜び」等のイメージがあります。しかし「現実はもっと厳しい」と思われる方もあるかもしれません。イエスキリストがお生まれになった時の状況も、非常に厳しいものでした。マリヤが妊娠したとわかったとき、ヨセフは苦しみました。マリヤとの幸せな生活を夢見ていたのに、その夢は崩れ去りました。やむなくヨセフはマリヤと縁を切ろうとしました。そこへ神様のご介入(天使のお告げ)があり、2人は一緒になることが出来ました。このように、ギリギリまで神様が答をくださらないことがあります。それによって「自分の力に頼らずに神様に信頼すること」を教えておられるのです。

「この方(イエス)こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)。

「ご自分の民」とはすべての人間です。すべての人は神様に造られたにもかかわらず、神様を無視し、人と自分を傷つけながら生きています。そんなわたしたち人間の罪をイエス様が全部背負い、身代わりに十字架で死んでくださり、よみがえられました。このことが「わたしの罪のためであった」と認めて洗礼を受ける時、その人のすべての罪は滅び失せ、イエス様の復活の命に生まれ変わります。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。 (訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) 」(マタイ1:23)

この言葉はイエス様がお生まれになる700年も前にイザヤによって預言されました。アフガニスタンで亡くなった中村哲さんは、この「神が私たちとともにおられる(天、共に在り)」という言葉こそ「聖書の語る神髄」だ、と言われました。この「天、共に在り」がイエス様の到来によって実現しました。それはただ自分が天国に行けるようになったから良かった、というためだけではなく、天と共に在る者は、天が本来その人に与えた使命に生きるようになるのです。わたしたちも天から与えられた使命を、忠実に、喜びを持って果たして参りましょう。

(永田 令牧師)