二つのアドベント

二つのアドベント」 2019/12/1

イザヤ2:1-5 
マタイ24:36-44

いよいよ待降節(アドベント)に入りました。ルーテル教会の聖書日課も新しくなり、今日はマタイ24章です。今まで待降節には読まなかった箇所です。
「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」
これはイエス様の再臨の箇所です。この再臨のことも「アドベント」と言います。待降節がファーストアドベント、再臨がセカンドアドベントです。
1回目のアドベントでは、イエス様は赤ちゃんとして、みすぼらしい姿で来られました。2回目のアドベントでは、栄光に包まれて、雲に乗って来られます。これがイエス様の本来の姿であり、1回目はその姿を「隠して」来られたのです。それはわたしたちの身代わりに十字架にかかって死ぬためでした。
2回目のアドベントがいつ起こるのか「だれも知らない」と書かれています。それは「知らなくてよい」ということです。「いつ」とか「何月何日」というのは大事なことではありません。大事なのは、それがいつであろうとも「目を覚ましている」ということです。「目を覚ます」とは、いつも自分の罪を自覚して悔い改めること、そして、その罪がイエス様の十字架によって既にゆるされていることを覚え、安心してセカンドアドベントを待つ、ということです。 「終わりの日に、主の家の山は、山々の頂に堅く立ち、丘々よりもそびえ立ち、すべての国々がそこに流れて来る」(イザヤ2:2)。「終わりの日」とはアドベントの日です。それは未来のアドベントのことだけではなく、イエス様は既に来られています。その日、人々は言うでしょう。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を、私たちに教えてくださる。私たちはその小道を歩もう。」わたしたちがいつもイエス様を仰ぎ見て、悔い改めと感謝をもって歩むとき、その姿によって人々はイエス様と出会います。こうして世界の面に実を満たしていくのです。そのことを信じて、喜びながら、アドベントの季節を過ごして参りましょう。

(永田 令 牧師)