負けざる者たち

負けざる者たち」 2019/10/20

創世記32:23~31
ルカ18:1~8

ラグビーと信仰生活は似ているような気がします。スイスイ前に進むこともあれば、タックルされて痛い思いをすることもある。また、まるでスクラムを押してもびくともしないように、祈っても状況が変わらないこともあります。

今日の福音書に、「神を恐れず、人を人とも思わない」裁判官が登場します。ひとりのやもめが助けを求めているのに、ちっとも動いてくれません。しかし、あまりにもしつこく頼むので、ついにやもめの願いを聞いてくれました。

この裁判官は神様を表しています。でももちろん神様はこんな冷酷な方ではありません。「神を恐れず、人を人とも思わない」のはむしろわたしたちです。だから祈ることがしんどいし、続かないのです。しかし、それでも「いつでも祈るべきであり、失望してはならない」とイエス様は言われます(ルカ18:1)。まるで祈りのスクラムを押すように、泣きながら、叫びながら戦い続ける。その中でわたしたちは、自分の我の強さを痛感し、イエス様の十字架によりすがるしかないことを思い知ります。

きょうの旧約聖書に出てくるヤコブは、かつて兄エサウを押しのけて、兄から祝福を奪ってしまった人物です。彼は兄と再会しに行く途中で恐れおののき、ひとりで祈っていました。その時、謎の人物が現れて、夜明けまでヤコブと  格闘します(創世記32:24-28)。それは神様でした。まるで神様とのスクラム合戦です。この戦いの中でヤコブは自分の罪を痛感し、それでも「わたしを祝福してください」と願い続け、ついに神様の祝福を勝ち取ります。この時からヤコブは「イスラエル」として生まれ変わり、兄とも和解することが出来たのでした。 祝福を受ける資格のない私たち。「神を恐れず人を人とも思わない」私たち。しかしそんな者の身代わりに、イエス様が「神を恐れず人を人とも思わない者」となって、十字架で罰を受けてくださいました。このお方に救いを求める人は罪がゆるされ、祝福を受ける者と変えられます。だからわたしたちもあきらめずに祈り続けましょう。イエス様の十字架によって、わたしたちは絶対に「負けざる者」なのですから。

(永田 令牧師)