原点に帰る

「原点に帰る」 2019/10/13

Ⅱ列王記5:1~14
Ⅱテモテ2:8~13
ルカ17:11~19

<Ⅱ列王記5:1-14「ナアマンの癒し」>
ナアマンに「優れた将軍・良き家庭人」と「殺人者・侵略者」という二面性があったように、全ての人は二面性を持っている。一方では武勲を誇り、栄華をほしいままにしている自分。他方では死を自覚し、他人から憎まれていることを知っている自分。そのような中で人は老いて行く。自己のすべてが失われてゆくのを見ながら生きている。その彼に神のことばが語られた時、「全き信頼と従順」が要求される(列王記下5:9-12、13)。自尊心から謙虚な心へ。自己顕示欲から自己放棄と服従へ。新しい人生はここからのみ始まる(14節、ルカ18:24-27)。『信仰とは信頼である』(ルター)。ナアマンがヨルダン川に身を浸した、これは洗礼の恵み。その結果、彼のからだは幼子のようにきよくなった(14節)。ナアマンの数知れぬ罪を、神の恵みはすべて赦し、彼を回復された。

<ルカ17:11-19「癒された10人のツァラアト患者」>
10人はキリストの言葉に従い、み教えの通りに行動し癒された。しかし9人は救いの言葉を受けることがなかった。病気が治ったことで満足した。元の生活は回復したが、新しい人生はそこにはなかった。しかしキリストのもとへ戻った1人に主は言われた。「あなたの信仰があなたを癒した」(19節)。彼は、病の癒しを「神の救いの御業(十字架)」として受けとめ、自分がイエス様によって生まれ変わったことを知った。「自己に生きる人生」から、「他者に向かう人生」へ。それ故、キリストは彼に「あとの9人は何処にいるのか」とおっしゃる。キリストは、帰ってこない人たちにも関心を持っておられる。『愛の反意語は憎しみではない。無関心である』(マザーテレサ)。

<Ⅱテモテ2:8-13「キリストとともに死に、キリストとともに生きる」>
「キリストと共に死ぬ」=洗礼の恵み。キリストの死と復活にあずかる洗礼。「キリストと共に生きる」=聖餐の恵みの中で生きる。聖餐の恵みによって、洗礼の恵みに立ち還る。信仰者の生涯はこの繰り返し。「原点に帰る」とは「キリストに帰る」こと。帰った人はどう生きる?『信仰によってキリストに生き、愛によって隣人に生きる。』(ルター「キリスト者の自由」より)

(原 拓也牧師)