祈り続けよう

「祈り続けよう」 2019/8/4

創世記18:16~33
ルカ11:1~13

きょうは「平和の主日」。しかし世の中を見回すと、とても平和とは言えない状況です。そんな中でわたしたちに出来ること、それは「祈り」です。祈りには大きな力があり、そして祈りは必ず聞かれます。
あるとき弟子のひとりが「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」と頼みました(ルカ11:1)。わたしたちも、分からないことがあったら、正直にイエス様に尋ねましょう。
この弟子は「ヨハネが弟子たちに教えたように」と言いましたが、バプテスマのヨハネの祈りとイエス様の祈りは大きな違いがあります。ひとことで言えば、ヨハネの祈りは「必死の祈り」、イエス様の祈りは「喜びの祈り」です。「父なる神様は祈りを聞いてくださる。否、すでに聞いてくださっている。だからうれしいし、楽しい!」それがイエス様の祈りでした。
こうしてイエス様は「主の祈り」を弟子たちにお教えになりました。それは“お父ちゃん”という呼びかけで始まります。「お父ちゃんとお話しできる喜び」、これが祈りの土台です。
しかし、わたしたちがこのように安心して祈れるのは、イエス様の十字架があるからです。わたしたちは本当は罪深く、汚れた者です。しかしイエス様が代わりに十字架にかかり、わたしたちが受けるはずの罰を受けてくださいました。このことを受け入れ、洗礼を受ける人は、もはや血を流す必要も、みつぎ物をする必要もなく、ただ安心して祈ることができるのです。そしてその祈りは必ず聞かれます。
「求め続けなさい。そうすれば必ず与えられる。探し続けなさい。そうすれば必ず見つかる。たたき続けなさい。そうすれば必ず開かれる。」とイエス様は言われました(ルカ11:9)。聞かれるかどうかわからないから必死で祈り続けるのではありません。「必ず聞かれるから期待して祈り続けなさい」ということです。どんなふうに聞かれるか楽しみにしながら、わたしたちも平和のために祈り続けましょう。

(永田 令牧師)